41歳で初の名刺を得た彼女が苦悩から脱せた訳 就職難に翻弄され、親との関係にも悩み抜いた

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一般事務職という名目だったが、お茶汲みやコピー取りのような仕事内容で女子社員をお飾りで置いているような職場だった。ワードやエクセルを使えない女子社員も多かった。不景気になると、みんなすることがない。だから女子社員の間で仕事が取り合いになる。

里美さんは、同じ契約社員で古株のある女性から嫌がらせをされた。里美さんが掃除をしようとすると、すごい勢いで掃除道具を奪い取られたり、お茶汲み道具を横からつかんでいかれたりした。里美さんがパソコンを得意として職場内でも若かったことを面白く思われなかったのかもしれない。

「どうにかしてほしいと上司に相談したら、『君はまだ若いし、他に行けば?』と言われたんです。同じ契約社員なのに、何十年の古株なので若い社員は何も言えなかったのではと思いました」

その事件の後、里美さんは孤立するようになり、本社から左遷され、現場作業の事務員に移動となった。

現場作業は、作業員が多く入れ替わることもあり、お茶出しやコピー取り、請求書作り、クリーニング出しなどの雑務が主な仕事だが、ドロドロした人間関係がなく、前職で嫌がらせを受けた里美さんにとっては何倍もマシだった。

こんな環境でずっと働きたいと感じたが、現場にいるのは技術者ばかりだ。

抜け出すために働きながら大学に通った

「それで、私はどうしたらこの状態から抜け出せるかと考えたんです。事務職から抜けだし、技術者のほうへ進むしかないと思いました。それで技術を学べる大学へ通い始めたのです」

もともと文系大学を卒業していた里美さん、しかし目指す技術者は、理系職であった。文系から理系への転換。適性から根本のやり直しである。仕事をしながらの大学生活は過酷を極めた。それでもあきらめずに、里美さんは勉強を続けた。そして、5年後に無事大学を卒業。就活時は、人手不足の好景気にあたり、なんとか内定を得ることができた。

今、里美さんは、念願の現場技術職として働いている。

「41歳のとき人生で初めての名刺を作ってもらったんです。組織の一員として認めてもらった感じがしましたね。人生の初のボーナスももらいましたし、住宅手当も出たんですよ」

里美さんが笑顔を浮かべる。

家を出る決意をしたのは1年前だ。生活の安定が親からの離脱のきっかけにつながった。手筈は整った。

「もう、家を出るだけだと決意したんです。この会社だと、住宅手当ももらえるし、ずっと親元から出るすきを狙っていた。だけど、長年、手取り月14万円、ボーナスなしで、親からもお金を要求され、経済的にも不安定だったから難しかったんですよね」

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