「巷の拡大論」の問題点を言い換えれば、それは検査前確率の無視ということになる。疑ってもいない人の検査を増やしても、陰性という当たり前の結果が増えるだけに終わる。その一方で、なんらかの症状や接触歴がある「検査すべき人」に速やかな検査がなされないという根幹の問題には何の改善ももたらされない。社会的資源を使って無駄な検査をすることは、公共政策の観点からは害悪でしかない。
PCR検査の感度が7割とされていることはかなり知られるようになった(新型コロナウイルス感染症対策分科会の資料)。10人の感染者を集めてきて検査をしても、陽性となるのは7人で残りの3人は陰性になる。「陰性証明」なる不思議な言葉があるが、1回のPCR検査で陰性を証明するのは不可能である。
しかし、医療現場でもしばしば感染対策のためという名目で入院患者や出産・手術前のPCR検査が行われる。これはかなりナンセンスかつ滑稽で、結果が陰性であっても感染していないことの保証にならないため、結局は「感染している可能性がある」と考えて対処しなければならない。つまり、検査することには感染対策上の意味がないということになる。
地域での流行期には、検査結果にかかわらずすべての患者が感染している可能性が一定程度あると考えて感染対策を講じるしかない。これは標準予防策の核をなす考え方であり、1980年代以降、遅くとも今世紀に入って以降の医療現場では、常識化しているはずのものだ。実情としては、検査によってあらゆる感染の有無が見える化できると信じている医療者もいるが、それはただ常識が欠落しているだけである。どうしても陰性証明がほしいのなら、手術前に潜伏期間分の日数を隔離したほうが確実である。
無作為検査では1人見つけるのに数千万円の公費投入
それにもかかわらず、ひとまず目の前の患者に陰性のお札(ふだ)を貼って安心したい一部の医療者が、手術前・入院前・出産前などさまざまな場面でのPCR検査を保険収載するように働きかけ、これが実現されてしまった。このような「特に感染が疑われるわけではない人をあえてふるい分ける」検査を総称してスクリーニング検査という。
スクリーニング検査で陽性となる頻度については、これまでに公表された大規模な調査はないが、筆者の見聞の範囲では数千例に1度程度の陽性率である。PCR検査1件は病院がインハウスつまり自施設で検査すると1万3500円の公費、外注すると1万8000円の公費を使う。仮に陽性率が5000例で1度とすれば、1人の陽性者を見つけるのに6750万円(すべて自施設:13500円×5000)~9000万円(すべて外注:18000円×5000)の公費(保険料+税金)が投入されていることになる。
加持祈祷と実質的に変わらない陰性証明や極めて非効率な陽性者捕捉のために、こうした数字を広く国民に周知して議論することなく、多額の公金を投入していることは問題である。
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