「コロナ不況」と「昭和恐慌」を同一視する危うさ 悲惨な歴史から私たちは何を学ぶべきなのか
増田:戦争が終わり、ヨーロッパも徐々に生産が回復し始めたため、日本で増産していた物資は余り始めます。そしてついに1920年3月、東京と大阪の株式市場で大暴落が起こります。日本が海外に輸出していた繊維、またコメなどの価格も暴落したのです。さらに追い打ちをかけるように、1923年には、関東大震災が起こります。
池上:政府は積極財政で、さらなる景気の後退をなんとか防ぎますが、1927年3月、ついに破綻を迎えます。金融恐慌が起こるのです。
金融恐慌は大蔵大臣の失言から
池上:関東大震災が起こったことで、企業などの支払いが滞ります。この状況で、もし銀行が倒産してしまうと、一斉に多くの人が預金を引き出す、取り付け騒ぎが起こったり、賃金の支払いが滞ったりします。
そんな問題がある中で、担当の片岡直温大蔵大臣が大失言をします。
増田:これもまた変わりませんね。
池上:ええ(笑)。少しは変わってほしいものですが……。1927年3月14日、東京渡辺銀行は、経営が苦しくなっていることを大蔵省に報告します。これを聞いた片岡大臣が、国会の予算委員会で、「東京渡辺銀行がとうとう破綻をいたしました」と発言してしまうのです。実際には経営破綻を免れていたのですが、この発言で翌日から休業することになります。
増田:この片岡大臣の失言をきっかけに銀行へ預金を引き出そうという人が殺到したんですね。いわゆる取り付け騒ぎです。こうした状況は、今後、もしかしたら起こりえますよね。こうした事態を避けるためにも、今は感染予防と経済活動の両立が大切な課題になっています。
池上:片岡大臣の失言の2週間後、今度は台湾銀行が鈴木商店への融資を打ち切る決定をします。その結果、鈴木商店が破綻。こうして銀行に対する不信感、経営への不安が再び広がり、銀行への取り付け騒ぎが頻発するようになります。台湾銀行は、日本が統治していた台湾に設立された中央銀行です。紙幣も発行する発券銀行でした。
増田:台湾銀行まで休業に追い込まれた。これで不安がまた増すんですね。
金融恐慌を止めることができなかった責任をとって若槻礼次郎内閣は総辞職。次に首班指名されたのは軍人で長州出身の田中義一。田中は、この恐慌に対応するため、それまでに3度も大蔵大臣を務めていた高橋是清を4度目の大蔵大臣に迎えます。
高橋是清は、生涯で7度も、大蔵大臣を務めていますよね。きちんと専門性をもった政治家が、その知見から政策を考え、課題や問題に取り組んでくれたら、それだけで国民に対してポジティブなメッセージになりますよね。
池上:金融恐慌が起こった1929年、高橋是清は72歳でした。当初は健康不安もあり、大蔵大臣就任は難しいのではないかと思われていましたが、彼は頼まれると断れない性格でしたので、短期間なら引き受けるということになりました。ただ、条件をつけました。恐慌を乗り切ったら辞任すると。