「大事故のアイドル」に家族がかけた意外な言葉 病室にかけつけて…「絶望」から救った言葉の力
父、母をはじめ、兄、姉も入れ代わり立ち代わり、毎日お見舞いに来てくれました。
みんな私の深刻な状況を知っているはずなのに、私の前ではいつも明るく、「スーパーポジティブな言葉」をかけ続けてくれました。
父は姉に「これからは、ともちゃんの専属マネージャーになって、送迎やスケジュール管理をする」と言っていたそうです。大げさだなと思いましたが、本当にありがたい気持ちでいっぱいでした。
つねに「明るく前向きな言葉」で包み込んでくれた家族
家族は「私が車椅子生活になる」という事実を知ったとき、とてつもなくショックを受け、嘆き苦しんだことと思います。
それでも、家族は私の前では誰ひとりとして暗い表情を見せず、「明るい言葉」をかけ続けてくれたことが、何より心の支えになりました。
「すぐに助けが来てよかったね」
「ご飯が何でも食べられるからいいね」(食事制限がなかったため)
とか。「こんなことになってしまってかわいそうに……」などという暗い言葉はひとつもなくて、つねに「明るく前向きな言葉」を投げかけてくれました。
そんな家族の言葉は、私の心を温かく包み、聞いているうちに、気持ちがどんどん前向きになっていきました。
「歩けない」という事実を知ったときも、絶望のどん底まで行かなかったのは、この家族の言葉があったからこそだと思っています。
例えば父は、私が「脚を動かせない」という事実を知る前から、
「『車椅子でも活動を続けてほしい』と事務所が言っているよ」
「車椅子で芸能活動をしている人もいるよ」
と何度となく伝えてくれていました。
私が「始球式をまたやりたい」と言ったときも、「車椅子でもできるよ」という具合に、絶対に否定的なことは言いませんでした。
兄の「車椅子に乗っていても、人を幸せにしたり、元気づけたりすることはできる」という言葉も、同じく心に残っています。
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