町のスーパーを全国区にした26歳社長の人間力 「フルーツサンド」がバカ売れ、東京にも出店

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ところが、2年生になるとイベントに参加していた学生たちが街のクラブへ遊びに行くようになり、イベントを開催しても以前のようには人が集まらなくなった。大山さんが母親のもとから飛び出したのは、その頃だった。

「それまで父親の姓を名乗っていたのですが、母から成人を迎えるにあたって、姓を変えると言われたんです。小学校の頃からずっと姓をイジったあだ名で呼ばれていたので、それが嫌で母とケンカになって家を出ました」

何となく、大学にも足が向かなくなって、2年の夏に退学。それからは隣町で父が営んでいるたこ焼き屋で働いた。仕事はハードだったが、お祭りやイベントでの出張販売にやりがいを感じた。全国の商工会議所や商工会に入会し、各地で開催されるイベントに年間400回以上も出店した。たこ焼きのみならず、焼きそばやかき氷、焼き牡蠣などもメニューに加えて売りまくった。

「たこ焼き屋で働き始めた頃は年商3000万円だったのが、1億4000万円にまで膨れ上がりました。が、店の経営方針をめぐって父とケンカをしてしまい、店を辞めることにしました。弟からスーパーのことを聞いたのは、ちょうどその頃でした」

1日50人を目標に客の名前を覚える

4年半ぶりにスーパーに足を踏み入れると、客があまりにも少ないことに驚いた。しかも、来店する客は車に乗らない高齢者ばかり。そもそも、大山さん自身は当時、小松菜とホウレン草の違いすらもわからなかった。そんな自分にいったい何ができるのかを考える毎日だった。2カ月が経った頃、祖父から経営を引き継いでほしいと頼まれた。

ダイワスーパーの大山皓生社長(筆者撮影)

絶対にできないと固辞したが、いつかはやらねばならないと思い、2代目の社長となる決心をした。そして初めて帳簿を見せてもらい、経営状態が明らかになった。毎年、300万円の赤字が10年間も蓄積していて、このままでは潰れてしまうという危機感を抱いた。そこで、社長として初めての朝礼で、2つの目標を掲げて宣言した。

1つは、1年で売り上げを倍にすること。そして、もう1つは、店の前に100人行列を作ること。これらを達成するために、具体的に何をすればよいのかを考えた。

「大手スーパーと比較したとき、品ぞろえや価格ではとても太刀打ちできないことはわかっていました。では、どの部分で勝負すればよいのかと考えたとき、『人』にたどり着いたんです。

お客様が会いたい、話がしたいと思うような魅力ある人間になれば、大手スーパーと対等に渡り合えるかもしれないと思いました。そこで、1日50人を目標にお客様の顔と名前を覚えることを自分に課しました。何しろ、お金は一切かけられませんから、それしか思いつきませんでした」

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