大衆に消費される「戦争の歴史」が生む問題点 被害者視線ばかりを強調するメディアの危うさ

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前川一郎(まえかわ いちろう)/立命館大学グローバル教養学部教授。専門はイギリス帝国史・植民地主義史。主な著書や論文に『イギリス帝国と南アフリカ――南アフリカ連邦の形成』(ミネルヴァ書房、2006年)、『「植民地責任」論――脱植民地化の比較史』(共著、青木書店、2009年)、「アフリカからの撤退――イギリス開発援助政策の顚末」(『国際政治』<第173号、2013年>)、”Neo-Colonialism Reconsidered: A Case Study of East Africa in the 1960s and 1970s”(The Journal of Imperial and Commonwealth History, 43 (2), 2015)ほか、訳書にジェイミー・バイロンほか著『イギリスの歴史【帝国の衝撃】――イギリス中学校歴史教科書』(明石書店、2012年)などがある(撮影:立命館大学)

前川:さらに、これまた有名な話ですけれども、高畑勲監督は亡くなる前に、『火垂るの墓』には加害者性がないから、完全な反戦映画ではないといった話をしておられました。

高畑監督は、『火垂るの墓』のあと、日本の中国侵略をテーマにした作品を作ろうとしていたのだけれども、ちょうど中国政府が民主化運動を弾圧するニュースが流れて、会社が企画をボツにしてしまったそうです。

そして結局のところ、それ以前もそれ以降も、日本で作られる戦争映画やアニメは、やはり圧倒的に被害者視線の物語ばかりになっている気がします。繰り返しますが、これでは歴史修正主義者に簡単に持っていかれてしまいます。

すみません、ちょっと話が脱線気味ですが、要するにそう考えると、辻田さんが指摘されている「良質な物語」を作っていくということは、本当に大事だと思うわけです。

ただし、これはこれで課題が山積みです。まず、そもそも「良質な物語」とはどんなものか。そして、これが最大の課題なのですが、それはどうやって作るのか。

学知にできるのはファクトの提供

倉橋:非常に難しい問題です。朝ドラや『この世界の片隅に』の話が出ましたが、その反対の勇ましいパターンが百田さんの『永遠のゼロ』ですね。これに対抗して、どのように「良質な物語」を提供していけるかについて、ぼくには今のところ回答はありません。辻田さんがおっしゃるように、学知はファクトを提供することはできますが、言い換えると、できることはそこまでだ、ということになるからです。

これに対して、私自身の考えは、ある種メディア論的な見方になりますが、そうなると、重要なのは作り手の意識で、そこが変わらないと、辻田さんが提起されている「健全な中間」という場所にも至らないのではないかと思っています。というのも、歴史修正主義は消費者評価が重要だったと考えているので、同じ土俵で勝負しても仕方がないと思うからです。

なので、別の仕方で消費者評価の視点を上げたり、育てたりする必要があると思います。歴史修正主義者は、差別的で排外的です。人権意識が非常に低い。まずは、ここを理解したほうがいいと思います。新型コロナウイルスの自粛生活でNetflixなどをよく見ているのですが、海外作品はいわゆる「ポリティカル・コレクトネス」がしっかりかかっていても、エンターテインメントとしてしっかりウケています。

つまり、人権意識が非常に高いのに良質なエンターテインメントです。ディズニーもそうだし、アカデミー賞受賞作も脚本がすばらしい。『パラサイト』だってコメディなのに人権意識が高い。こういった歴史修正主義者に欠落している部分を見極めて、あるいは歴史修正主義を生んだ土壌が何なのかを考えないと、うまく「良質な物語」は提供できないのではないかと思います。

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