卒業した後は、母親と相談してヘアメイクの学校へ通うことを考えた。
「確かに髪の毛巻くのとか好きでした。でもよく考えたら、人の髪を巻いてあげたいんじゃなくて、自分の髪を巻いてもらいたいんだって気づいたんです。数百万円も払って専門学校行っても、意味ないなって思いました」
「本当にやりたいことってなんだろう?」
と真剣に考えた末、
「自分がキレイになって注目されたい」
なのだと気がついた。
「思い出せば小さい頃から、芸能界に憧れがあったんですよね。『まさか自分が』と思って深くは考えていなかったですけど……」
そして18歳で大手芸能事務所のオーディションを受けた。事務所からは
「面接だけしたら、特待生としてすぐにデビューできるよう計らいたい」
といううれしい連絡がきた。
「うれしかったんですけど、その面接に2時間遅れちゃったんです。わざとではなかったんですけど、ありえないですね」
初対面の担当者は
「てめえ何してんだよ!!」
と紺野さんを怒鳴った。紺野さんは思わず泣いてしまった。そしてその話はご破算になった。
「残念でしたけど、今思えばあのタイミングで芸能界に入ってても、何かやらかしちゃってただろうな、と思います。調子に乗って遅刻したり、未成年なのに酒やたばこに手出したりしかねなかったです」
それからは手当たり次第、モデル系のオーディションを受けた。ただし引っかかるところは、写真撮影代50万円、レッスン代10万円など高額な金銭を要求するところだった。
冷静に考えると、かなりインチキくさい事務所だったが、若い紺野さんはお金を払って所属した。総額100万円以上はつぎ込んだという。
「さすがにいろいろ気づいて『もうやめる!!』って言うと、ファッションショーに出させてくれました。ショー自体は小規模ながらちゃんとしてたんですけど、着させられたのはゴミ袋みたいな服でおまけに目隠しをするという体型も顔も関係ないものだったんです」
「あ、これは私、だまされてるな」
舞台袖にはけて、自分と同じ立場のモデルたちを見ると、いかにも勘違いしているような人たちがたくさんいた。客観的に彼女たちを見て
「あ、これは私、だまされてるな」
と気がついた。
それで気落ちしたせいか、体調も崩してしまい、しばらく家で臥せってしまった。
「家でテレビを見ていたら、くまだまさしさんと、鈴木Q太郎さんがテレビでネタをやっていました。1枚のブルマを2人ではいて、笑わないようにする、というネタだったんですけど、お腹を抱えて笑いました」
笑った後に、
「こんな大人になりたい」
と思った。
今まで考えてもいなかった、お笑い芸人という道を考えるようになった。
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