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紺野ぶるまが異色ネタの笑いにとことん拘る訳 大胆な発想で売れない芸人から抜け出した

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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21歳のとき、松竹芸能へ所属することにしたが、まだ芸人になるとは決めておらず、女性タレントコースに応募した。養成所に行って、日舞やタップダンスを教わった。そこまでは、今まで入っていたモデルの事務所と変わらなかった。むしろ、当時の紺野さんにとって、いちばんためになったのは

『芸能界に入るのはどういうことか?』

という基本的なレクチャーだった。

例えば「信号無視はしてはいけない」など、人に見られる仕事をするうえで留意しなければいけない点を教わった。

紺野さんは、人間として初めて生まれたような気持ちになった。

「それまで私、ぐちゃぐちゃだったんですよ。かなりイカれてたと思います。養成所のレクチャーを受けて、人としてギュッと引き締まった気がしました。それまではアルバイトも続かなかったけど、真面目に行けるようになりました。マジで人生変わりました。リハビリを受けたみたいでした。

お笑いコースのネタ見せを見学すると『ネタを最初から書ける人なんて1人もいなくて、初めは手探りでもいいんだな』と思いお笑いコースに通い始めました。

松竹芸能に入っていなかったら、私の人生やばかったと思います。感謝しています」

養成所で、人間として初めて生まれたような気持ちになったという(筆者撮影)

いきなり1人でお笑いをする勇気のなかった紺野さんは、小学校からの友人に声をかけた。友人は、紺野さんが先生に

「なんで頭悪いのに、そんなに明るいんですか?」

と言われたときも、横にいて支えてくれた人だった。

くまだまさしさんと鈴木Q太郎さんのネタに強い影響を受けた紺野さんは、ブルマをはいて芸をすることにした。

「おかっぱのカツラをかぶって、上はチアガールの服にブルマをはいて

『はいてるブルマは無限大!!』

と言って踊りだして……今思うと全然面白くないですね。わけがわからない(笑)」

養成所では大不評だった

養成所でネタ見せをすると、大不評だった。

「21歳の女性がブルマ姿で出てきたら、客はどう思うかわかる?」

と怒られた。

「当時の私は女を捨ててやってるつもりでしたし、ハレンチな気持ちになるなら、そんな気持ちになるほうがおかしいだろうと思ってました」

最初は手伝ってくれた友人も、就職が決まると

「あとは1人でできるでしょ」

とやめてしまった。

その後も、紺野さんは面白いと信じて1人でブルマ芸を続けた。しかし、賞レース『R-1ぐらんぷり』では3年連続で1回戦負けをしてしまった。

「1回戦負けをして、違うんだな、変わらなきゃいけないんだな、と思いました」

芸人の下積み時代と言うと、つらく、厳しいイメージがあるが、実は紺野さんは実はまったくそんなことはなかったという。

「今思うと全然うまくいってないんですけど、その頃はなぜかうまくいってる気がしていました。希望の塊でしたね。収入は0円でしたけど、いくらでもこれから羽ばたいていけるんだ、って思ってました。芸人1年目がいちばん幸せだったと思います」

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【収入は全部アルバイトで稼いだ】

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