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紺野ぶるまが異色ネタの笑いにとことん拘る訳 大胆な発想で売れない芸人から抜け出した

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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まだお笑い芸人になるという夢は持っていなかったが、お笑い番組は好きだったし、クラスメイトを笑わせるのも好きだった。

「クラスの男子たちが話す下ネタは憧れでしたね。実はいまだに憧れています(笑)。

小学校のとき、男子が桃太郎を下ネタアレンジして話し始めて。必死に笑いを堪えていたんですけど、耐えきれず思わず吹き出してしまいました」

中学校に入るとバトミントン部に入り、みっちり週6日練習していた。都大会のベスト8に入る好成績を収めていた。

ただ、クラスメイトも好きだし、部活動も好きだったが、学校自体はどうしても好きになれなかった。私立の女子校に進学した後も、バトミントン部に入ったが、ゆるい練習に手応えを感じず嫌になってやめてしまった。

そしてそこからは、急激にギャルになった。

「当時の私は『高校生であるうちに、制服を着てギャルをやりたい』という衝動を抑えることができなかったですね。日サロでガンガン身体を焼きまくって、エクステつけて、行くとこまで行ってました」

もちろんさまざまな人から、ギャルをやめるよう説得されたが、その都度

「形式的に止めやがって!!」

と強く反発した。

学校には親に無理やり行かされていたが、年に50回くらい遅刻していた。

校長先生に暴挙を働き退学

最終的には、注意をしてきた校長先生をおでんの汁で囲んで翌日退学になった。

「『髪の毛は真っ黒以外ダメ』『化粧もダメ』な真面目な学校だったんです。そんなの何がかわいいんだ!! って反発してました。今思うと黒髪でスカート長い女子高生のほうがかわいいと思うんですけどね(笑)。あの頃は人生の選択肢、全部間違ったほうを選んでました。

小中高とずっとしんどかったです。友達と遊んだり、部活は楽しかったですけど、ほかはずっとつらかった。月曜日の2時間目とか、ものすごい絶望感でした」

高校を2年で退学した後は、通信制の学校に移った。学校に通うのは月1回になった。基本的に在宅の日々が続いた。

「矛盾してるんですけど、それはそれでしんどかったんです。いざ寝られるとなると眠くならない。遊べる時間がたっぷりあると、遊ぶ気にならない。髪の毛もあんなに染めたかったのに、いつの間にか真っ黒になりました。ルールがないからずーっと無なんですよ」

週5日カラオケ屋で真面目にアルバイトをした。バイトを終えて家に帰る途中、

「あれ? 何やってるんだろう?」

と思い、悲しくなった。

今、人生を振り返ると、いちばんの暗黒期だった。

そして高校を卒業した。

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【卒業後はヘアメイクの学校へ通うことを考えたが】

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