「毎年、ウチでは300人前後の看護師が入れ替わっています。若い看護師にブランド病院として人気が高く、キャリアを積んで比較的短期間で辞めていく人が多いからです」
また、若い看護師を次々に入れ替えるほうが、人件費は安く済むという現実もある。
実際、女子医大では来年度に向けて、すでに330人の看護師を募集していた。
ただし、今回は例年を超える大量の離職者が出ることが必至。現場にも悪影響が出ているという声が、労働組合に寄せられている。
「ただでさえ看護師が足りていないのに、ここから辞めてしまったら経験者もいなくなり、患者の安全も守れないでしょう」(30代・看護師)
「私たち看護職がいなくなったら、誰が看護をするんですか? 看護の質も下がり、インシデント(※)の数は増えていませんか? このままでよいのですか?」(20代・看護師)
同じ新宿区内にある東京医科大学病院では、ボーナスは例年と変わらず、さらにコロナ特別手当として医師、看護師などに月額2万円が支給されている。都内の別の大学病院でもコロナ手当があり、今夏のボーナスがゼロというところはない。
東京女子医大だけがなぜ違うのか。探っていくと、名門大学病院の知られざる「裏の顔」が浮かび上がってきた。
名門大学病院の凋落を招いた、医療事故と同族経営
外科医の本田宏氏は弘前大学医学部を卒業後、1981年に女子医大の医局に入った。
「心臓、肝臓、腎臓などの外科手術で、日本トップレベルの医者たちが女子医大に集まっていました。当時、自他共に認める名門大学病院だったのです。ここで私は肝臓の移植医になるつもりでした。でも、実際に入ってみると、まるで西部劇のような大学で、給料も安く、若手の医者や看護師はディスポーザブル(使い捨て)のように扱われていたのです」
当時、ガチガチの“男社会”だった日本の医療界。東京女子医大でさえ、生え抜きの女医が教授になるケースは多くなかった。
そこで、腕に自信のある医者たちが、全国各地から一旗あげようと東京女子医大に集まっていたのである。これが本田医師の目には「西部劇」のように映ったという。
腎臓移植や人工心肺装置の開発などで、女子医大は日本を代表する大学病院の地位を確立。1日の外来患者数は、約4000人と人気が高かった。
しかし、名門病院のブランドは、2001年に起きた心臓手術の死亡事故を契機に一変する。
2人の医師が逮捕され、執刀医(講師)は患者のカルテを改ざんした証拠隠滅罪で有罪判決が確定。もう1人の医師(助手)は、女子医大による内部報告書で、事故原因の責任を押しつけられたが、刑事裁判では無罪判決となった。裁判の過程で、組織ぐるみの隠蔽工作が明らかになり、後に女子医大は助手だった医師に謝罪と損害賠償を支払っている。
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