菅義偉「コロナ対応、あらゆる支援を用意した」 支持率は最低「難しいが丁寧に説明していく」
1月末から6月19日までずっと休んでいなかった
塩田潮(以下、塩田):通常国会閉幕の2日後、6月19日の夜6時半から東京の虎ノ門のレストラン「ザ・タヴァン・グリル&ラウンジ」で安倍晋三首相、麻生太郎副総理兼財務相、甘利明自民党税制調査会長と一緒に4人で会食した、と報じられました。
菅義偉(以下、菅):この4人は2012年の自民党総裁選で安倍さんの当選を実現したときのメンバーです。1月からコロナ対策に専念していましたが、6月19日に県をまたぐ移動が解禁されました。私なんか、1月の末からずっと休んでいなかった。ほっとした感じですよ。
塩田:安倍首相は何とか国会を乗り切ったという印象でしたか。
菅:当然、そうだと思いますよ。コロナでこれだけ大変だった中、今年の本予算と補正予算を3本、計4回の予算審議を行って成立させたのですから。
塩田:会食の席で、次の内閣改造・党役員人事や、来年10月の衆議院議員任期満了まで1年4カ月となった次期衆院選など、今後の政治の動きは話題になりませんでしたか。
菅:まったくない(笑)。
塩田:新型コロナウイルスによる49日間の緊急事態宣言の期間が終結してから1カ月余りが経過しました。コロナ危機の現状をどう受け止めていますか。
菅:人と人との接触機会を減らさなければ、ということで緊急事態宣言を出しましたが、4月下旬から5月初めの連休が1つの大きな山になると思っていました。人との接触を8割削減するのが目標で、欧米のように罰則を伴う強制的な規制ができない中で、自粛を要請するというやり方でしたが、あそこまで非常に協力していただけるとは思っていなかった。国民の皆さんが自粛要請に応えてくれたのを見て、「これはいくな」と思いましたね。世界の各国と比較して、感染者も亡くなった方の数も桁違いに少なく、ここにきて、ようやく海外からも日本の方式は評価され始めていると思っています。
塩田:緊急事態宣言を出す際に、決め手となったのはどういう事情でしたか。
菅:1月に国内で最初の感染者が確認された後、海外からの感染者の流入を阻止する水際対策と、クラスターという集団感染の早期発見、学校への休校要請、いわゆる「3つの密」の回避など、先手先手で対策を講じてきました。その中で、緊急事態宣言は私権の制限を伴うものであり、慎重に判断すべきと考えていましたが、都市部を中心に感染者が急増し、医療体制も逼迫し始めたので、専門家の皆さんから意見を伺って、緊急事態宣言を出すことにしました。
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