ユダヤ人に代表される社会的弱者には、手工業者や商人など、実はとても才能にあふれる人たちが数多くいました。そんな彼らが大挙してイタリアに渡ったのです。この動きが、結果としてイタリアに“幸福”をもたらすことになります。「ルネサンス」と呼ばれる文化運動の始まりでした。
ラファエロ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチなど、ユダヤ人ルーツの偉大なる天才たちが続々とイタリアの地に登場します。
これを“神のごほうび”とみなす見方もあるでしょう。しかしその裏には、現代にも通じる、ある“成功の法則”が隠されていました。
危機を「マイナス」と捉えるか、「プラス」と捉えるか
イタリア人はローマ帝国の末裔たちです。ローマ帝国の人々はアッピア街道や水道橋を建設し、十二表法などの法律を作成するといった「実用的センス」に恵まれていましたが、「芸術的センス」には乏しい民族でした。それが、ペスト禍の極限状態に追い詰められ、また、ユダヤ人ら才能ある民族に触発されることで、「造形のセンス」という隠れた才能に突如目覚めたのです。
この造形のセンスはルネサンス期だけにとどまりませんでした。その後に名をはせることになる、プラダ、グッチ、フェンディ、フェラガモ、アルマーニなど超有名イタリア・ブランドのほとんどは“ルネサンスの跡地”から生まれたものばかりなのです。圧倒的曲線美を誇るフェラーリも、“神の音色”を奏でるストラディバリウスも例外ではありませんでした。
感染症の流行は、前述のとおり各共同体がはらむ問題点を顕在化させますが、一方で、極限の危機の最中、弱者に真っ先に手を差し伸べた民族や国家では「社会的流動性」も高まります。そして、異なる民族が互いに助け合うことで、それぞれが持つ英知やポテンシャルが発揮されることがあるのです。
本来感染症には、その言葉以外に意味はありません。これに、「プラス」あるいは「マイナス」の意味を持たせるのは私たち人間次第なのです。ペスト禍をあくまでマイナスと捉えて地獄を味わったドイツ、そして、逆にプラスと捉えて文化が隆盛したイタリアの史実から、今後、感染症というものをより意識していかねばならない私たちが学ぶべきことは少なくありません。
危機をプラスと捉えられるか。個人であれ組織であれ、それこそが私たち現代人が意識すべき“成功の法則”であろう――私はこのところ、受験生に教える世界史を振り返りながらそんなことを考えています。
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