ボブ・ディラン「コロナの捉え方は無数にある」 インタビューで語った新譜、死、特別な存在…
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には印象的な歌詞があります。「私は生と死と一緒に、同じベッドで眠る」。誰もがある年齢に達すると、こんなふうに感じるのだろうと思います。死についてはよく考えるのですか?
人類の死については考えるよ。裸のサルがたどってきた長い奇妙な旅路。軽々しく言うわけではないけれど、どんな人の人生もとてもはかない。誰であっても、どんなに強くても力があっても、死ぬとなったら脆い(もろい)ものだ。死については、自分個人の死ではなく、概念的に考えている。
自分たちの世界はもう時代遅れ
──「最も卑劣な殺人」には、終末論的な感情が多く込められています。2020年の時点で、私たちはもう戻れないところまで来てしまったと思いますか? テクノロジーや超工業化が、地球上で人類に牙をむくような心配はありますか?
もちろん。その点で終末論的に感じる理由はたくさんある。いまは昔より、不安や心配が確実に多い。だが、それは君や私のように、ある程度の年齢に達した人たちだけだよ。私たちは過去に生きる傾向があるが、それは私たちだけなんだ。若者にはそんな傾向はない。若者には過去はなくて、いま目にし、耳にするものしか知らない。そして、彼らは何でも信用するだろう。
20年か30年後には、彼らが第一線にいる。いま10歳の子どもがいたとしたら、20年か30年後には彼が世の中を動かしている。その子は私たちが知っていた世界なんか、まるで知らない。10代の子どもたちには、いまは思い出話なんかないんだ。やがてはそれ(彼らの世界)が現実になる。だから、なるべく早く見方を切り替えたほうがいい。
テクノロジーについて言うと、誰もがテクノロジーのせいで弱くなる。でも、若者はそんなふうには考えない。まったく考えないよ。彼らが生まれた世界は、テレコミュニケーションや先進技術の世界だ。私たちの世界はもう時代遅れなんだ。
──「偽預言者」の歌詞に、「私は最高の仲間たちの最後のひとり──あとの人たちは葬っていい」という言葉があって、私は最近亡くなったジョン・プラインとリトル・リチャードのことを思い出しました。2人が亡くなったあと、トリビュートの意味で彼らの音楽を聴いたりしましたか?
2人とも自身の作品で大成功している。彼らはトリビュートなんか求めてないよ。2人が何をして、どんな人物だったかは誰もが知っているんだから。2人は尊敬や喝采を集めてきたが、本当にそれに値することをした。それは間違いない。