総花的な「公的支援給付」が生まれる歴史的背景 コロナ禍に思う「バタフライエフェクト」

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「本当に困っている人」に速く確実に給付を届けるためには、その前提条件となる制度の整備が必要になってくる(写真:ロイター)

「バタフライエフェクト」という言葉を、最近よく思い出す。

この言葉は、気象学者のエドワード・ローレンツが、1972年にブラジルで1羽の蝶が羽ばたく程度の撹乱が、遠くテキサスで竜巻を起こすような大きな影響を与えると語ったことに由来して、力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化がなかった場合とは、その後の状態が大きく異なってしまうという現象をいう。

2004年には、『バタフライ・エフェクト』という映画も作られていた。過去に戻ることのできる能力を持つ主人公エヴァンが、何度も過去に戻り、昔の出来事を意識的に変えてみて、結果、大きな変化が生まれてしまった人生を、繰り返し経験するというような話である。

もしもあのとき……。そう思うことがどうも近ごろ多いのである。

プライバシーの自由と生存権保障インフラ

最近は、天災や経済危機は忘れる前にやってくる。経済学では、同じ「将来の不確実性」といっても、将来の発生確率の分布をおおよそでも知ることができる状況をrisk(リスク)という。

対して、将来のことは、戦争や災害が起こるかもしれず、市場の動きも長期には何がどういうふうに展開していくのか正直なところよくわからないという状況をuncertainty(不確実性)と呼ぶ。

そして、将来について確実に言えることは、将来は、不測の事態が繰り返し起こる不確実な社会であるということくらいしかなさそうである。

では、そうした不確実な世の中に対するリスクマネジメントの観点から、常日頃から備えておくべきものは何であろうか。最優先として挙げられるのは、国は生存権の保障として、人命と生活を守るためのインフラを整備することであろう。人命を守るために、ゆとりを持った医療環境は必須である。では、生活を守るためには?

今回のコロナ禍の下、既存、新設の多様な制度を通して生活を守るための所得の保障が行われている。しかしそうした施策には、生活に困窮している人をつかみ切れていないという弱点がある。したがって、政策は総花的となり、ゆえに、必要な人には不足しており、そうでない人には棚からぼた餅が配られている側面がある。

この国では、災害、経済ショックが起こるたびに、いつもそうである。理由は、生存権を保障すべき国が、国民の生活の状態を把握できていないことにある。

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