総花的な「公的支援給付」が生まれる歴史的背景 コロナ禍に思う「バタフライエフェクト」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

社会保障政策をきめ細やかにしていこうとする際の壁は、つねに政策主体である公共が国民の所得や資産を把握、捕捉していないという、他国から見ても実に情けない原因が理由であった。年金しかり、医療、介護、子育て、最低生活の保障、全部そうである。この国では、ニーズと負担能力を上手に見極めた所得の再分配をうまく行うことができないのである。

隣人の所得・資産がガラス張りのスウェーデンでは、国民は為政者の所得、資産を監視するためにガラス張りでなくてはならないと思っているようである。社会保障番号先進国のアメリカは、受給の権利、つまり権利としての給付が公正に行われるための義務が当然視されている。そのために、社会保障番号に関して「権利と義務の均衡」が意識された制度設計がなされている。

次は、利子・配当への総合課税を目指したグリーンカードが廃止になり、今も分離課税であるがゆえに、1億円以上の富裕層の所得税率がどんどんと下がっている図である。

もしもあのとき、グリーンカードが実施され、金融所得が総合課税の対象とされていたら、所得の捕捉率も高まり、所得税の負担率は所得が高くなるほど高くなり続けたはずである。そして、コロナ禍が人々に与える影響がさまざまである中、社会保障と税を通じて社会全体の格差の広がりを抑える効果的な再分配政策の選択肢が、われわれの目前に広がっていたのではないかとも思えるのである。

映画『バタフライ・エフェクト』のエヴァンのように、過去にさかのぼって事態を変えることができるのならば、今の状況で、日本はどのようにうまく振る舞うことができるであろうか。

マイナンバーは社会保障ナンバーに育ちうるのか

いやいや、グリーンカード、日本型軽減税率の頓挫は、蝶の羽ばたきのようなささいな出来事とは言えず、やはりこの国は、国民自らが望んで、進むべくしてこれまで必然の歴史をたどってきたということだったのであろうか。

もしそうだとしても、これからも繰り返し不測の事態が起こる不確実な世の中で、生存権保障のためのインフラを今のままにしていくのだろうか。

本当に困っている人が誰だかわからないというままに、欠陥品の社会保障と税をこの国は抱え続けていくというのであれば、それはそれでよし。社会保障の研究者としては、マイナンバーが、権利と義務が体現された社会保障ナンバーに育つことを願うところもあるが、それが嫌だというのであれば、お好きなようにとしか言いようがない。ただ、みんなよく怒らないものだと思っていたりはする--ある意味、国民性というものだろう。

権丈 善一 慶應義塾大学商学部教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

けんじょう よしかず / Yoshikazu Kenjoh

1962年生まれ。2002年から現職。社会保障審議会、社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。著書に『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1~7)、『ちょっと気になる社会保障 増補版』、『ちょっと気になる医療と介護 増補版』など。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事