父の虐待で「勉強嫌い」に陥った53歳女性の半生 「おまえのせいで、お父さん、しんどくなった」
30代後半で、現在の夫と出会い、結婚を機に実家から離れた街に転居した。
「夫は父とは正反対の性格で、とても穏やか。一緒に暮らして、しんどくない人がいるんだと驚きました。そこで初めて、自分の育った家庭の異様さが見えてきた。父から『親がこんなに大事にしてやっているのに、文句ばかりいって』と怒鳴られていたので、しんどいといってはいけないのだと思っていたのです」
40代になってから親との関係を見直すようになった瑠美さんは、子ども時代に両親からいわれた言葉や行動の数々を思い出し、2階から1階を見下ろすように俯瞰してみたという。すると、「子ども時代の自分が座敷童子のようにわらわらと現れた。その1人ひとりの頭をなでて成仏してもらったら、傷ついた心が癒され、楽になった」と話す。
その後、福祉系の国家資格に一発合格し、「やればできるじゃないかと自信が持てました。父に勉強ができないといわれ続けてきたので、勉強に不向きなのだと思い込んでいたんですね」とも語っている。資格を取得後、介護、福祉の仕事をした。
4年前、母親が倒れたとの報せを受けて帰郷した瑠美さんは、母親の介護なしでは暮らせなくなっていた父親を、施設に入れることを決める。入所日までの5日間は実家に泊まり込んで、父親の介護と入所準備をし、母親が入院した病院に通った。
父は終始不機嫌で「なんてイヤな娘だ」と怒鳴られ、「私って何なんだろう」と思ったという。それでも父が施設に入居した後、月に2回のペースで施設を訪れ、認知症による妄想がひどくなっていた父親の話の聞き役を務めた。
「父への思いは正直複雑なものがありましたが、……ほかにやる人がいないんですから、放っておくわけにはいきません。父は生身の私には何の興味もなくて、私をスクリーン代わりに理想の娘像を映して、『わが子』を愛しているつもりになっているのは昔からでした。現実との落差に腹が立つんですよ」
「父の死」から気づけたこと
母が1ヵ月半の入院から戻ったとき、「実家の空気がまったく違うのに驚いた」と言う。「息が吸えるというか、大げさに言えば、独裁帝国が倒れたあとはこんな感じかと思いました。相当無理のある家族だったんだと、ようやく気づきました」
父親は3年前に老衰で亡くなった。
「亡くなったと連絡をもらったとき、とても冷静で、涙は出ませんでした。3年経って、……過去を振り返り、ひどいものはひどい、怒っていいところは怒っていいんだ、と客観的に思えるようになりました。それと、例のへんな罪障感は消えましたね。父は父で大変だったんだな、としみじみ思ったりもします」
一方的に勉強を強要され、学ぶことの意味に悩んだ瑠美さんだが、40代にして学ぶ楽しさを知った。1人暮らしをしている母親とも、本音で語り合えるようになったという。父親との葛藤を経て、ようやく新たな人生を歩み始めたといえるだろう。
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