父の虐待で「勉強嫌い」に陥った53歳女性の半生 「おまえのせいで、お父さん、しんどくなった」

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高校は、当時の自治体が小学区制を取っていたため、一方的に「全体に学習意欲の低い」市立高校に割り振られた。即、父から予備校の夜間部に通わされることになる。

「私の意志などお構いなし。何のために勉強するのかわからず、成績もモチベーションも下がるばかり。当時、心の支えになった課外活動やマンガ、ラジオの深夜放送まで、勉強以外のものはすべて禁止されました。

机のそばにマンガ本を置いていたのを見とがめられ、目の前にあった予備校の教科書をびりびりに破られたこともあります。『高校も予備校も、やめてしまえ!』と怒鳴られ、そばにいた母に頭をつかまれ、『お父さんに謝りなさい』と机にこすりつけられました。屈辱でしたね。母は父の機嫌をとるのに精一杯で、私のことまで気が回らなかったのでしょう」

なぜか消えない「父親への罪障感」

それでも、高校3年生になる頃、「父が勧める大学を目指そう」と思い直したが、その直後、あれだけ娘を自分と同じ大学に行かせようとこだわっていた父親が、「お前の成績では無理だから、近所の女子大に行け」と一方的に言い渡した。

「私からすれば、何の魅力も感じない大学で、そのとき、何かがぶっつり切れました。父にとって女性の進路は、一流大学に入って医師や弁護士、大学教員を目指すか、あるいは女子大に入ってエリートの嫁になるかしかなかったのです」

一度切れてしまったモチベーションは戻らず、結果は不合格。「今になって思えば、潜在意識の深いところに、父の言いなりになりたくない、という意志があったのかもしれません。一浪して、父親が指定したのとは異なる女子大に合格。父が行けと言った大学より偏差値は高かったのですが、学歴については、その後も何十年と嫌みを言われ続けました」と語る。

女子大入学後、大学が自宅から遠かったため、女子寮に入ることになった。

「寮の自室に戻ってホッとするという感覚を初めて知りました。解放感がありましたね」と瑠美さん。規則の厳しい寮で、他の学生が文句をいう中でも「規則に従う方が、父のわけのわからない要求に応えるよりは遙かにましだった」と振り返る。

大学4年間を実家から離れて過ごした瑠美さんは、卒業後も戻ることなく就職し、そののちフリーランスで仕事を始める。「なるべく父親とはかかわりたくなかった。生きづらさはあまり感じませんでしたが、前にも言ったように、父に対してはヘンな罪障感がありました。自分が悪いことをしているような感覚ですね」と語っている。

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