「パクりまくる中国」に日本が勝てない深い事情 マネの放棄は「学びの放棄」と同意義である

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同業他社や他業種の優れたビジネスを分析し、その特長を自社ビジネスに取り入れる。これは、「ベンチマーキング」と呼ばれるマーケティング・スキルのひとつだ。

ビジネスアイデアを次から次へ生み出していくには、他社のビジネスから学び、一部分をマネて取り入れ、そのうえで自社オリジナルの差別化を加える方法が効率的である。0から1を生み出すような奇跡的なアイデアは、長い時間をかけてひらめくことはできても、量産することは困難だ。

中国企業は総じて、このベンチマーキングを得意としている。それは、「パクリが上手い」という簡単な言葉で片づけていいものではなく、彼らの競争優位の源泉のひとつになっている強力なスキルだ。

「成功者のコピー」は当たり前のこと

中国企業は、情報収集に力を注ぎ、成功事例を分析して即座に取り入れ、そのうえで自社オリジナルの価値を創り出していく。だから、互いにベンチマーキング・スキルを発揮し合う中国市場の競争は、激しく、厳しいものになる。

差別化はすぐにライバルにマネされて、コモディティ化してしまう。だから、ひとつの差別化に時間をかけすぎていては、到底勝ちあがれない。ライバルに追いつかれないよう、高速で差別化を量産していくことが求められ、そのためにスキルが日々鍛えられている。

このように、中国では「人気のある何か」「価値のある何か」は、すぐに学んで取り入れるのが当たり前だ。むしろ、それをビジネスの「コピー」「パクリ」と言って、悪として捉える日本の風潮のほうが不自然と言ってもいいだろう。

たとえば、スポーツの世界では、成功者のコピーは当たり前のことだ。偉大な成功者の技術は徹底的に分析され、多くの選手がそれをコピーしたうえでオリジナルの技術へ昇華していく。分析・コピー・昇華が繰り返されるからこそ、あらゆるスポーツの記録は更新され続けているのだ。

職人の世界でも同じことが言える。昔ながらの職人の世界では、技術を手取り足取り教えてくれない代わりに、「目で盗む」のが当たり前だった。観察し、マネをしてみて、コツを覚え、その上で自分なりに技術をさらに向上させていく。

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