日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ

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それは、間違っているからだ。

そもそも、金融政策は経済学の教科書では、量をターゲットにしたものは出てこない。すべて金利だ。中央銀行の金融政策とは、金利を上げ下げするものである。さらに、実体経済に影響するのは、金利だけだ。したがって、20世紀にはいわずもがなだったのだが、金融政策とは「金利を動かす政策」なのである。

日本銀行が量的緩和を2001年に発明してしまったため、話がややこしくなった。だが、やはりこれは理論的には誤りで、今回を契機に廃止するべきである。

私の主張は、理論的には「間違いだ」、と言われる可能性がある。なぜなら、数式だけを見れば、手段が金利であれ、マネーの量であれ、資金の需給で金利が決まるのであれば、金利を操作変数かつ直接ターゲットにするのと、資金量を操作変数として金利をターゲットにするのと結果は同じだからだ。

しかし、狭い意味での理論、数式モデルの上ではそうかもしれないが、現実の金融市場と金融政策の関係から行くと、量を操作変数またはターゲットをすることで、大きな害が生まれる。

「量」の「3つの害悪」とは?

量をターゲットとすることで、生じる害悪は3つある。

第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すことだ。
実は、これはもともとの金融政策の狙いとして、経済学の教科書に書いてある。つまり、金融緩和をしたところで、経済主体はそれを予想して行動を変えてしまうから、効果はないはずだ。

もし効果があるとすれば、経済主体が貨幣錯覚に陥って、目の前の価格変化にだけ気を取られて、経済全体の物価水準も上昇して、実質価格は変化していないことに気づかない場合だけだ。金融政策が、効果があるとすると、この貨幣錯覚しかない、というような文脈で語られる。つまり「貨幣錯覚を狙って金融政策をする」というのは、理論的にはあり得る。

しかし、現実には、これは害悪でしかない。市場と経済にリスクをもたらすだけの政策となってしまう。なぜなら、錯覚を起こそうとしても、起こせるかどうか不確実であり、さらに問題なのは、起こしたい錯覚は起こせず、起こしたくない錯覚が制御できないほどに起きてしまう可能性があるからだ。

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