「子ども手当」論争から日本の病巣が見える--リチャード・カッツ
鳩山政権が提案している子ども手当をめぐる論争は、日本が取り組んでいる改革の難しさを示す格好の例となっている。
民主党は当初、消費を刺激し、出生率を高めることを目的として、所得制限なしに全世帯へ子ども1人当たり年31万2000円を支給すると約束していた。だがその後、一部の人々が政府支出の抑制と経済的平等の観点から高額所得者を除外するよう提案した(編集部注:最終的に所得制限を設けない形で決着)。
しかし、他国では全所帯を対象にすることで子ども手当は支持を得ている。支給対象を低所得者に限定すると、裕福な納税者は手当を慈善と見なし、反対するようになる。また、他国のように手当を通常の所得として課税すれば、低所得者の純受給額は大きくなるはずだ。
子ども手当にはもっと大きな問題が含まれている。
今まで日本は“福祉国家”というよりも“福祉社会”であった。多くの給付は政府ではなく、企業によって与えられてきた。医療保険も年金も失業保険も、勤務する企業の規模と勤続年数で決まっている。それが政府に対する圧力となって、経営体質の脆弱な企業を存続させてきた。また経済成長を高めるために必要な労働市場の弾力性を低下させてきた。
さらに悪いことに、所得再配分や雇用保護などの社会政策が暗黙のうちに行われてきたため、経済成長が阻害されてきた。
たとえば、食糧輸入や農地売却をさまざまな形で規制することで食糧価格が上昇し、農家が保護されてきた。消費者の払うコストは農家に支払われる給付額をはるかに上回っており、GDPの大きな損失を招いていた。加えて、農家の過剰な保護が、農家と都市住民の対立を先鋭化させることになり、社会的な連帯感を損なってきた。