コロナ対策は「予防徹底は不可能」が前提だ

弱者に負担を押しつける「分離型自粛緩和論」

現在、ボディ・ポリティックは単に「国民」「国家」の意味で使われる場合が多く、「身体」のイメージは薄れました。

けれども今回のコロナ・パンデミックのように、感染症によって公衆衛生が危機にさらされた場合、「国家(国民)=ひとつの巨大な身体」の図式は、比喩ではなく文字どおりのものとなります。

個々の国民(=自然人)の「自然的身体」がウイルスに感染し、周囲の国民の自然的身体に感染を広めてゆけば、日本(国民)という「政治的身体」も機能不全に陥る。

のみならず、感染症の流行によって不安やストレスが強まり、社会的連帯が損なわれても、ボディ・ポリティックは衰弱します。

感染者や、感染リスクの高い医療従事者への差別が問題になっているのは、故のないことではありません。

コロナウイルスの流行に対処するには、個々の国民の自然的身体と、ボディ・ポリティックの両方を守らねばならない。

その際にポイントとなるのが、以下の3つの原則です。

(1)「身体(=ボディ・ポリティック)でわかっていないこと」「身体が慣れていないこと」は、論理的・合理的に見えようと失敗するリスクが高い。
(2)ボディ・ポリティックの一体性を無視した対処法は、非現実的な観念論にすぎない。まして当の一体性を損なうような対処法は、国や社会に永続的な後遺障害を残すことを覚悟せよ。
(3)国境を越えたヒトや物の移動が当たり前になった現在、あらゆるボディ・ポリティックは、ほかのボディ・ポリティックとつながっている。

以下、順番に見てゆきましょう。

予防措置は徹底されなくて当然

1番目の原則は、おそらく多くの方が、個人レベルで実感された経験をお持ちのはず。

「頭でわかっていること」と「身体でわかっていること(=実際にできること)」の間には、しばしば巨大なギャップが存在します。

これを無視して、理屈は正しいのだからうまくいくはずだと構えると、まず失敗する。

知識・学問・技術などを自分のものにすることが「身につく」と呼ばれるのは、決して偶然ではありません。

しかるにボディ・ポリティックは、そんな人間の巨大な集団。

個人レベルでうまくいかないことが、ボディ・ポリティックのレベルでうまくいくことがありうるでしょうか?

政府とか専門家といった「頭」が、感染対策のために国民という「身体」を制御しようとしても必ず限界がある、そう前提してかかるべきです。

例えば「感染予防措置を徹底すれば」なる条件設定のついた見解や予想は、それだけで外れるおそれが強い。

いかに予防措置について啓蒙に努めたところで、以下のような人々は一定数、確実に存在するからです。

(A)最初から耳を貸さない。
(B)予防措置の内容について、誤解、ないし不適切な解釈をする。
(C)措置について正しく理解したが、うっかりミスをしでかす。
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