コロナ対策は「予防徹底は不可能」が前提だ 弱者に負担を押しつける「分離型自粛緩和論」

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一見、名案のように思えますが……。

どこが間違っているかは明白でしょう。

コロナ弱者と、そうでない人々の分離が達成できると決めてかかっていることです。

わが国のコロナ弱者には、皆「巣ごもり」に徹するだけの余裕があるのか?

同居している家族が感染予防を徹底するというのは本当か?

独り暮らしの場合は、「家族」が「ヘルパーや訪問看護、介護に関わる者」に変わるだけの話。

この点がクリアされないかぎり、分離型自粛緩和論はコロナ弱者に負担を押しつけるだけの結果に終わります。

予防措置と同様、コロナ弱者の隔離も徹底できない

「ひとつの巨大な身体」である以上、ボディ・ポリティックには文字どおりの「一体性」が備わっている。

都合に応じて、適宜分離できるように構えるのは、頭でっかちの観念論にすぎません。

これが2番目の原則。

予防措置と同様、コロナ弱者の隔離も徹底できないことを前提にしなければならないのです。

諸外国でも、例えばスウェーデンは分離型の対策を取りました。

が、結果はどうなったか?

ここから先は、締めくくりとなる次回でお話ししましょう。

佐藤 健志 評論家・作家

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さとう けんじ / Kenji Sato

1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。1989年、戯曲『ブロークン・ジャパニーズ』で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞。1990年代以来、作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開。『平和主義は貧困への道』(KKベストセラーズ)をはじめ著書・訳書多数。またオンライン講座に『痛快! 戦後ニッポンの正体』(経営科学出版)、『佐藤健志のニッポン崩壊の研究』(同)がある。

 

 

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