アメリカ・ハーバード大学の研究論文によれば、PM2.5と呼ばれる微粒子状の大気汚染物質を長年吸い込んできた人は、新型コロナウイルス感染症による死亡率が大幅に高くなるというのだ。論文の著者であるハーバード大学の生物統計学教授フランチェスカ・ドミニチは、「汚染された大気を吸ってきた人が新型コロナウイルス感染症にかかったら、ガソリンに火をつけるようなもの」と主張している。
大気汚染による健康上のリスクの大きさが今回のパンデミックによって露呈したのはあまりに皮肉な話だ。そもそもわたしたちは大気汚染物質について新興感染症ほどには注意を払って来なかった経緯がある。前出の記事でも、「大気汚染によるアメリカの死者は毎年10万人を超える」が、「大気汚染の致死的な影響はほとんど議論されていない」と批判的だ。現在のところ、新型コロナウイルス感染症によるアメリカでの死者は8万人を超えているが、それでも大気汚染による死者よりは少ないということのほうに改めて驚かされてしまう。
「生物としての人間」を軽視するカルチャー
それでもわたしたちが毎秒この濁った「致死的な」空気を吸い続けてきたのは、端的にいえば人間の「生物としての側面」を顧みない社会に生きてきたからだ。これは働き方からしてそうである。コロナ禍によって「テレワーク推進に消極的な職場」といった時代錯誤的な労働観が槍玉に挙がったりしたが、問題の本質は、生産性で推し量る「労働力としての人間」をとりわけ重視し、病気になったり致死性のある病原体を撒き散らしたりすることもある「生物としての人間」を軽視するカルチャーにある。
わかりやすいところでは「風邪の療養のため有給休暇を取得して休む社員」よりも、「風邪薬を飲んで仕事を続ける社員」のほうが評価されてきた現状がある。ロイヤリティー(忠誠心)や根性論の文脈で語られる部分だ。その深層には、もっと厄介な心性がある。「心身の異常をコントロールすることへの抗い難い欲求」だ。これは、心身のコンディションをできるだけフラットに保つことを規範とするもので、いわば現代社会の病理とでも評すべき「身体機能の平準化」志向なのである。
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