「学校休んでいいよ」は苦しむ子の救いになるか 不登校の子どもたちの偽らざる本音

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中身しだい
うれしいかどうかは、言葉の中身しだいです。「不登校でも大丈夫、死なないで」と言われても不登校していたころの僕なら「どうして?」と理由を聞きたくなったと思います。
当時はお先真っ暗だと思っていたからです。大丈夫な理由を知っているなら教えてほしいくらいでした。
根拠のない気休めはいりません。僕がほしかったのは、不登校だったけれど、いまは幸せに生きている身近な先輩の存在でした。
「身近な」というところが大切なのです。有名人に「不登校を克服しました」と言われても、なんだかすごすぎて参考にならないからです。 
名もない一般人が不登校になり、どのように悩み、どのように生きてきたのか、リアルな声がともなわなければ、「不登校でも大丈夫、死なないで」という言葉は、聞こえはいいが、まるで中身がない、からっぽのきれいな箱のような言葉だと思います。
つまり、中身のある「大丈夫」ならうれしいし、中身のない薄っぺらな「大丈夫」なら嫌いです。
(まっちー・30代)

 

正直に言うと
とくに有名人のような声の大きい人が「不登校でも大丈夫だよ」と言ってもらえることは、個人的には助けになりました。
私は「行かなきゃ行かなきゃ」って思ってたので、「こういうことを言ってくれる人がいるんだ」って思えましたから。
でも正直に言うと、本当につらい時期は「不登校、大丈夫だよ記事」を目にいれることすら苦しかったです。
自分のつらさに目を向ける余裕がまだなくて、ただ「逃げたい」と思っているときには、どんな内容であれ、不登校の話は聞きたくないです。
(あおい・14歳)
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