「学校休んでいいよ」は苦しむ子の救いになるか 不登校の子どもたちの偽らざる本音
3つあります
うれしかったことは3つあります。
1つ目は私以外にも学校が苦しい子がいることをあらためて認識して、孤独感が薄れたこと。
1つ目は私以外にも学校が苦しい子がいることをあらためて認識して、孤独感が薄れたこと。
2つ目は有名な方が発信してくれることで、不登校についての認識を多くの人に持ってもらえること。
3つ目は有名な方のお話などを読んで「大丈夫」と一瞬は思えることです。
イヤだったことも3つあります。
1つ目は「やっぱり有名な方のようにはなれない」と、落ち込んでしまうこと。
2つ目は「学校に行かないのは甘えではない」と言われれば言われるほど、甘えている気が当時はしてしまったこと。
3つ目は「不登校はパワーを充電しているとき」というような報道は、「また動かなきゃ」と気持ちが追い詰められて、しんどかったことです。
(矢陽有莉(やぴ ゆうり)・16歳)
言葉の模索を
無理しないでいいよ」と伝えることで、不登校をただのサボりとしてとらえず、若い子たちが生き続けていけるようにしているのはいいなと思う。
ただ、正直、不登校を肯定しすぎている気がする。私は不登校は子どもにおすすめしていいものだとは思えない。
みんながそうではないけれど、私の場合は、授業に出ないから勉強についていけない、人と関わる時間が少なく人間関係で苦労する、運動する機会が減り体力が下がる、とマイナスなこともたくさんあった。
私は不登校になって「人生が終わった」と思い、親に「死にたい」と言ったら泣きながら殴られ、「私は死を選ぶ権利もないんだ」と、とてもつらい時間をすごした。
つい最近、知人に不登校時代のことを話したら「同じ学校に通っていたら、守ってあげられたのにな」と言われた。
そんな反応は初めてだった。そのとき、当時の私は「死なないで」と言ってほしかったんじゃなくて、自分が「存在していていいんだよ」と認めてもらいたかったんだなと思った。
自分なんていなくても学校は成り立つし、親だって手がかかる子どもはいないほうがいいだろうと、自分で自分のことを認めてあげられなかった。
でも「あなたはここにいていいんだよ」という安心感がほしかった。人によって救われる言葉というのはちがうと思う。
「逃げてもいい」「死なないで」だけをキーワードにせず、いろんな言葉を使って模索し、悩んでいる子たちの心が少しでも救われる報道が増えればいいなと思う。
(ひな・25歳)
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