競走馬のように走り続ける現代人の「教養」信仰 希代の勝負師が語る本物の教養、偽物の教養
必要なものはすでに与えられているはずなのに、それに気がつかず、「自分は足りていない」と不足を嘆く。いつも嘆いてばかりの人がいたら、「いったい君は何になりたいの?」と聞きたくなる。
空を飛んでいる鳥は海を泳ぎたいと言って魚に憧れるだろうか? 水の中を泳いでいる魚は、鳥のように空を飛びたいと言って嘆くだろうか?
鳥は空を飛ぶ天分を与えられ、その力を存分に生かしている。魚は水の中を泳ぐ天分を与えられそれをまっとうしている。だから彼らは不足を嘆くどころか、彼らの持っている全能力、全感覚を働かせ、いきいきと、そして自由に生きているじゃないか。
教養より大切な「心の温かさ」とは?
私がいつも言っている言葉に、「心温かきは万能なり」という言葉がある。いろんなことに気づき、相手を気遣い、相手を助けてあげる。それらに共通するのが「心の温かさ」でしょう。愛だとか誠というと何かたいそうなものに聞こえるけれど、温かいという表現で十分だと思う。
心が温かければ、人間はなんだってできる。あらゆる能力を伸ばし、開花させるのも「温かさ」であれば、人と関係を築き、人と助け合うのも「温かさ」だ。
あらゆるものが温かさの下で活性化する。生命というのは温かさがあるから強くたくましくなるんだ。人間の感性も感覚も、温かさによってより活発に働くようになる。愛する人、大切な人を守ろうとする温かい気持ちが、あらゆる感性を活性化させ、全細胞が奮い立つ。
そう考えると、教養もつまるところ「心の温かさ」が原点だと考えられるでしょう。詳しくは『「実戦」で身につけた本物の教養』に書いたけれど、心が冷たい人間が、どんなに知識を詰め込んだところで、それは真の教養たりえないということです。逆に、心温かき人であれば、知識のガラクタを集めなくても、自然とおのずから、必要かつ十分な教養を身に付けることができる。自らの体験を通して私はそう信じている。
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