競走馬のように走り続ける現代人の「教養」信仰 希代の勝負師が語る本物の教養、偽物の教養

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今の世の中は自分が得したり、競争に勝つために「教養」を身に付ける。しかし本物の「教養」とはそういうものではない(写真:alphaspirit/iStock)  
混迷の時代を生き残るため、「教養」は身に付けるべきもの、必要なものと誰もが思い込んでいます。しかし「逆に、その教養が自分を苦しめることになる」と、20年間無敗で勝ち続け、「雀鬼」の異名をとる雀士・桜井章一氏は言います。
長年、勝負の世界で生きてきた桜井氏が語る、教養より大切なこととは? そして本物の教養とは? 桜井氏の新刊『「実戦」で身につけた本物の教養』をもとにひもといていきます。

結局、管理されて自由を奪われる

勉強すること、努力すること、頑張ること。今の時代、いずれもよしとされている言葉でしょう。しかし私にはこれらの言葉いずれもが好きになれない。親が子どもに「勉強しなさい」と言う。そこにはいい大学に入って、いい会社に就職して、いい給料を稼ぐようになってほしいという思いがある。その思いとはすなわち勝ち残れる人間になってほしいということだ。

上司が部下に「努力が足りない。もっと頑張れ」と叱咤する。そこには売り上げを上げて、もっと利益を上げろという魂胆がある。それによって自分の成績や株も上がる、という打算がある。勉強すること、努力すること、頑張ることのいずれもが、結局は自分がいい立場に立ちたい、有利な立場に立ちたいということにほかならない。それによって利益を上げたい、得をしたいということだ。

数学の計算式でカッコ=( )が出てくる。カッコの中の数字を先に計算しろと言われたでしょう。5×3+1は掛け算5×3から先にやって、その後で1をプラスする。ところが5×(3+1)の場合は3+1を先にやって、その後で5を掛ける。

私から言わせれば、いまの世の中、誰もがわれ先にカッコの中に入ろうとしているのだと思う。カッコに入ることで、真っ先に計算される。つまり、自分が優先され有利な立場に入れるということでしょう。

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