柴田陽子「営業せずとも売れる」生き方の根底 どんなつらい体験も受け止め方次第で糧になる
柴田は1971年生まれ。神奈川県・葉山の坂の上に立つ、大型犬を常に2、3頭飼っていても余裕という庭がある立派な一軒家で、経営者の父親、専業主婦の母親のもと2人姉妹の長女として育った。中学・高校・大学はキリスト教系の女子校へ進学。何不自由ない恵まれた環境に育ち、絵に描いたようなお嬢さまだった。
思いもかけない転機は25歳のときに訪れた。大学卒業後、ある外食企業で役員秘書を務めていた柴田に母親から「すぐに帰ってきて」との電話があった。尋常ではない様子に慌てて実家に向かってみると、50人ほどの強面(こわもて)の男に囲まれた父が土下座していた。父の事業が失敗し、莫大な債務を負ったようだった。
「私の人生が、一瞬で転落した日のこと」
ぜいたくをして能天気に暮らしていた柴田の生活は、この日、一変する。一家は、白くて汚いバンを1台与えられ持てるだけの荷物と一緒に家を追い出された。夜逃げのように向かった先は、鍵もろくにかからず、いきなり誰かが入ってきてもおかしくない部屋。見たこともない光景に、心臓が飛び出しそうで、手足も震えるほどだった。
毎朝、目が覚めるたびに「夢じゃなかったんだ」と悲しい気持ちになり、涙が出た。柴田は自分の身に起こっていることを誰かに知られるのが怖い気持ちがあり、会社の同僚や友人たちにこのことを告げられなかった。
自分が留守にしている間に両親が自殺してしまうのではないかと心配し、数カ月間は出勤してから毎日休み時間に家へ電話をかけ、両親の生存確認をした。電話ボックスを見ると今でもそのことを思い出す。
ただ、半年も経つと徐々に変化も出てきた。少しずつでも前を向けるようになった。後にも先にもないつらい経験を通して柴田は「この世に乗り越えられないことはない」と悟ることになる。
このときの話は今でも人に言うことはほとんどない。そして実家近辺には20年以上経った今でも行けていない。それどころか、自分たちの身に起こった本当の原因をいまだ父に聞けていないほどだ。
「強烈に自立しなければならなくなったことで、熱く思えるようになったり、逆に冷めた目線で見られるようになったりということは経験として大きかったと思います」
どんな人にも落ちる可能性はいつでもある。それは誰にでも起こりうることだ。
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