“王様”だった栄養士の反発
――そもそも、どのような経緯があって給食革命に取り組まれたのですか?
区長になる前だったのですが、ある母親の方から、「足立区内で学校を転校したところ、そのとたんに子どもが給食を食べなくなった」と聞きました。その子どもは「前の学校は給食がおいしかったけれど、今度のところはまずい」と、言っていたそうです。
最初は「(それぞれの学校で調理する単独調理場方式とはいえ)区内の学校で同じ予算で給食を作っているのだから、味が大きく違うなんて、そんなわけないだろう」、との感想を持っていたのですが、よくよく様子を聞いてみると、給食の残りが少ない学校と、残菜がガバッと多い学校と、本当に大きな差があることが初めてわかりました。
さらに、それより以前、都議会議員のときに生ゴミの堆肥化に取り組んでいたのですが、当時、都の職員から「堆肥化するのも確かに大事だけど、その原料となる生ゴミを出さないことを考えるべきだ」、とアドバイスを受けました。
その職員からは、「東京都の生ゴミの中でいちばん多いのは、学校給食のゴミ」とも聞かされました。それが頭の中に残っていて、「引っ越した途端に、子どもが給食を食べなくなった」という先ほどの母親の話が結び付きました。
そこで、冒頭にお話したように、残菜の調査を始めたのです。
――当初は学校の現場の抵抗がすさまじかったようですね。
「おいしい給食委員会」を立ち上げたときに、まず非常に強い抵抗がありました。各学校に栄養士さんはひとりしかいません。ですので、そこの学校では「王様」でした。専門職だというプライドもあります。「あなたのところは残菜が多いね」というような“ケチ”をつけられたことがそれまでなかったので、それまでは自分の学校の給食をおいしいと思い込んでいたのです。
自分のところの残菜量はわかっていても、他の学校のデータを知らないので、その差がわからなかったことも要因だったのではないでしょうか。
「残菜をゼロにしたかったら、子どもの好きなハンバーグとスパゲッティだけを毎日食べさせればいい」と、見当違いのことを言われたこともあります。
ただ、今では残菜の全校分のデータを各校長先生に渡しています。栄養士さんに力量があり、または担任の先生や校長先生が意欲的に給食革命に取り組んでいる学校は、確実に残菜も減っていますね。
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