歴史から読み解く「コロナショック」経済の行方 酷似「スペイン風邪」後の経済と株価を考察

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1919年当時の日本の総人口は約5500万人なので、一時は人口の4割近くが感染した計算になる。もっとも、統計によって数字にバラツキがあるので、正確性については多少、割り引いて考える必要があるが、広範囲に感染が拡大したのは間違いない。ただ、全期間を通しての死亡率は1.6%なので、当時の衛生状態を考えると、それほど危険とまでは言えないかもしれない。

では、当時の経済はどのような状況だったのだろうか。

1917年の実質GDP(当時はGNP)成長率は9.0%、1918年は8.6%、1919年は5.0%と高成長が続いていた。感染が終息した後の1920年はマイナス成長に転じているが、総じて経済は好調だった。当時の日本は新興国なので基本的に高成長だったが、それでもこの成長率はほかの時期と比較してかなり高い。

実は、この頃の日本経済は、第1次世界大戦特需によって絶好調という状況だった。

大戦の勃発によって欧州の企業活動が大幅に縮小したことで、戦争とはほぼ無縁だった日本企業には数多くの注文が舞い込んだ。各社は空前の好業績となり、株価も急騰。賃金も上昇したことから、雰囲気的には1980年代のバブル経済のような状態になった。株長者が続出し「成金」という言葉がメディアを飾った。

スペイン風邪はこうした中で発生したので、初期段階では景気に対してそれほど大きな影響を与えなかった。アメリカも日本と同様、戦争による直接的な被害を受けなったので、経済は順調に推移していた。欧州は大戦による被害が大きかったが、英国経済は何とか横ばいを保っていた。

景気には直接影響を与えなかったが…

図は日本国内における、スペイン風邪の死亡者数と株価の推移を示したものである。当時は日経平均のような株価指数は存在しておらず、東京株式取引所(東株)の株価が指数代わりに用いられていたので、新株分を調整した株価を指数として用いた。

それによると感染による死者が急増した1918年には、2回目となる株価バブルがスタートしており、スペイン風邪の影響はあまり見られない。ところが、株価バブルの頂点と、感染ピークの2回目はほぼ一致しており、感染爆発と同時に株価は暴落し、その後、長い不況に突入する結果となった。第1次世界大戦後の不況はかなり長引き、10年間のデフレを経て昭和恐慌へとつながっていく。

当時の日本政府は、今と同様、学校の一斉休校を実施したり、イベントの自粛を呼びかけるといった施策を行っている。また、マスクの着用やうがい手洗いの実施が呼びかけられており、これも今の施策と近い。だが、一連の対策が極めて有効に作用したのかというとそうでもなく、結局のところ、多くの人が感染し、集団免疫を獲得することで、終息に向かったと見てよい。

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