小保方さんが若い女性じゃなかったら
論文発表当時、小保方晴子ユニットリーダーが女性であることを、発表内容よりも大きく取り上げたのは、世界のメディアで日本と韓国だけだったといいます。
彼女が若く(1983年生まれ)、研究室ではかっぽう着を着るなど、いわゆる「女性らしい」雰囲気だったことも、メディアにとっては格好の素材でした。そこで、「リケジョの女子力」などの枕詞を冠し、彼女の成果を称賛したのです。
そして現在、彼女は一転して苛烈なバッシングにさらされています。中には私生活にずかずかと踏み込む媒体も。その激しさはまるで、「ほら、言わんこっちゃない」「勝手に俺たちの村に入ってくるからだ」とでも言っているように思えてならないのです。
彼女の研究の妥当性や論文内容、あるいは各メディアの報道モラルについても、ここでは触れません。
ですが少なくとも、もし彼女が理系じゃなかったら(たとえば、彼女は文学者だったら、もし彼女がいわゆる「かわいらしい」容貌でなかったら(たとえば、ボサボサ髪のベテラン研究員だったら)、あるいはそもそも、男性だったら……。これほどの過熱にはつながらなかったのではないでしょうか。
「理系」で「女子」だったからこその悲劇。男性が得意とされている分野での女性(特に若い女性)の活躍は、良くも悪くも好奇心の対象となり、結果的に、激しい敵視・攻撃にさらされることもありうる、ということです。
次回は、こうした現象は一部の学会とリケジョにとどまらず、多くの職場と働く女性にも通じる部分があるということについて、考えてみたいと思います。
※後編へ続く。
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