「先発したんですが、2〜3回投げて5失点でKOされました。次に出ていくピッチャーも全員打たれて、向こうは大竹さんが投げて完璧に抑えられました。レベルが違いすぎて、悔しいというよりも、全国の舞台まで来てこんな姿、恥ずかしいなって」
恥ずかしさは何よりの原動力となった。北海道に戻ってからは、朝からウエイトトレーニングを始め、食事と栄養の勉強を自らやり、フォームに関してコーチに聞きにいくようになった。みるみる力はつき、冬が明け、大学4年生の春には見違えるような選手に成長した。
「3月のオープン戦で、東海大学本校と試合をしたんです。そのとき、自分で投げたボールが糸を引いてキャッチャーミットに収まる感触があったんです。なんか違うぞ!って思いました」
ストレートの球速は147km/hまで上昇。力のついたストレートは配球の幅を広げ、リーグ戦では5勝0敗で防御率は0.60。全国大会の舞台でも活躍し、なんと日本代表に選出されるまでになった。つい半年前まで普通の大学生だった男が、日本代表選手として高いレベルに触れたとき、人生で初めての感情を抱くようになった。
「代表チームで、濱口(=DeNA)、柳(=中日)、京田(=中日)たちと一緒にプレーする中でどんどんプロへの想いが強くなっていきました。自分も、その舞台にチャレンジできるならしてみたい。母親は最初反対していましたが、結果を出し始めたあたりから、何も言わなくなっていきました」
秋のリーグ戦でも5勝0敗と結果を残し、ドラフト2位で横浜DeNAベイスターズに指名される。予想外の順位に驚いたのは本人だけではない。そもそも、わずか1年前は早稲田大学相手に3回5失点KOの、誰も知らない選手である。小、中、高の同級生はもとより、親戚一同にとっても信じられないビッグニュースだ。こうして、北海道からプロ野球選手が誕生した。
早すぎた1軍デビュー
「高校のときにサイドスローにしたのは、ひじに不安があったからです。サイドにしてからも、そこまでよくなったわけではありませんでした。ところが、2月にキャンプインすると肩が痛くなり、ゆっくり調整するという方針を球団が組んでくれました」
大卒で、ドラフト2位。ゆっくりといっても、1年目から戦力となることを球団は大いに期待していただろう。4月の中旬には2軍戦で登板。徐々にイニング数を伸ばしていく計画だったが、天候やローテーションの都合上、まだ実戦での登板数も少ないうちに、先発で8回を投げることとなる。そこで、8回を被安打1という投球を披露する。
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