「3.11」はダメ夫と家族をどのように変えたのか 「津波ごっこ」をする、親を失った子どもたち

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

冒頭に登場した友人家族は内陸地の友人なので、家の外のブロック塀が崩れたりという一部被害はありましたが家も家族も全員無事でした。

地震当時は夫は仕事へ出かけ、妻は生後6カ月の次女とまだ幼い長男がいたので育休中でした。長女は小学校1年生で、長女の下校に合わせて迎えに行き、予約していた歯医者へ向かって車を運転していたところへ、突然車のハンドルが利かなくなるほどの大きな揺れが襲ったといいます。

歯医者は諦めてすぐに自宅へ引き返すも、電柱は倒れ、電線は切れ落ち、障害物だらけでなかなか前に進めない。幼い子どもたちは見たことのない状況にパニックを起こし、なだめながらなんとか車を進めて自宅へと急ぎました。途中、夫に連絡するもすでに回線がストップ。

夫も車通勤で、個人経営の小さな会社で勤めていたので、すぐに帰宅命令が出たものの、道路はぐちゃぐちゃ、街灯も倒れ辺りは真っ暗の中地鳴りはするし、何度も大きく揺れては木や電柱が道に倒れ、立ち往生して渋滞。帰宅するのに普段30分の道のりが何時間もかかり、帰宅したのは深夜だったといいます。

食材は冷凍食パンとカレールウだけ

帰宅途中にある家が大きく揺さぶられ、住民たちが避難して道路に出てくる姿や、電柱や信号機が折れ曲がって崩れ落ちる風景を目の当たりにしながら、家族と連絡が取れない時間はとても長く感じたことと思います。

「夫が帰ってきたときは涙が出たし、夫も目を真っ赤にして泣いてた。子どもたちもずっと不安そうにしてたし、何度も何度も揺れて家の中がもうぐちゃぐちゃだったから本当に死ぬんじゃないかと不安にあおられた」と語っていました。

しばらくの間、電気、ガスがストップしていたので、テレビは見れずに情報が入ってこない、物もなければガソリンも入れられない。内陸地は支援物資もなく、食材が冷凍庫の食パンとカレールウだけになり、食パンだけを具にしたカレーを石油ストーブの上で作ってしのいでいたと言います。

なによりも大変だったのが、まだ6カ月の子どもがいたなか、ミルクとオムツがなかったこと。お店では1家族1つしか売ってもらえず、市役所では2回分のミルクしかもらえない。そんな状況を救ってくれたのは近所の方々でした。「1家族1つ」という縛りのある中、近所の方々が協力して買い出しをしてくれたり、余っているものを分けてくれたりしたそうです。

筆者の実家でもご近所に灯油をお裾分けしたり、農家の方は野菜をお礼にとブツブツ交換で地域が一丸となって、とくに女性たちのコミュニティーが発揮されていました。

実家の母も、「エアコンしかない家は、電気もガスも止まっているから冷たい物しか食べられない。余っている石油ストーブを貸してあげようと近所に持っていったら旦那さんが出てきて、遠慮なんだか知らないけど断るのよ。結局その後に奥さんが出てきてぜひ貸してくださいって感謝された。男ってバカかと思った」そんな話もしていました。

次ページ夫の勤め先の会社が倒産
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事