「3.11」はダメ夫と家族をどのように変えたのか 「津波ごっこ」をする、親を失った子どもたち
東北の3月はまだ雪が降りますし、東京の真冬の寒さです。こんな先の見えない状況がいつまで続くかわからない中、さらには夫の勤め先の会社が倒産という連絡まで入ります。
給料も不払いで絶望的とも思われましたが、夫は落ち込むどころか、突然テキパキと家の片づけをし始めたり、毎朝日の出とともに起床して、どこかのスーパーが開いていると聞きつけると、何キロもの道のりを子どもの自転車をこぎながら買い物へ出かけたり、ミルクをもらいに市役所へ出かけ、何時間も並んで灯油やガソリンを買いに行ったり、今までの知っている夫とはまるで別人のようだったと言います。もはや落ち込んでいる暇などなかったのです。
そして、震災後少し落ち着き始めた5月には 「俺、家族との時間が取れる仕事に就く」といって、残業がなく交代制の鉄鋼関係の仕事を決めてきました。
家族との時間を優先するようになった夫
この日以来、9年経った今でも夫は、皿洗いや洗濯の当番をし、以前では依存症だったパチンコもほとんど行かなくなり、何よりも家族との時間を優先し、「子どもたちがかわいくて仕方がない」と言って、周囲も認める子煩悩パパとなっています。
「自分たちの生活や当時の傷だけでなく、津波の被害に遭われた方やそのご家族のことを思うと、少しの時間も無駄などないと感じた。今ある家族との時間が奇跡そのものだし、いつ死んでもおかしくない。子どもたちを失うかもしれない。
3.11のあの帰り道、ぐちゃぐちゃになる道を運転しながら想像したら恐ろしくて恐ろしくて震えた。今までいったい何をやってきたんだろう、何もやってきていない、人生を歩んでいないと感じた。亡くなられた方や、目の前で家族を失った方の気持ちを無駄にしては罰が当たる。今までの自分を深く反省したし、日常どれだけ幸せかということに強く気づかされた」そう語っていました。
東日本大震災をきっかけに、「人のためになる仕事をしたい」と言って筆者のもとを訪れる方も非常に多くなりました。命の尊さ、人生には限りがあるということ、人とのつながりの大切さ、思いやる心、全国の多くの人たちが、たくさんのことを考えさせられ、学ばされた大きな出来事です。
被害に遭われた方の命が少しでも報われるよう、私たちは人生を真剣に生きていかなければならないのだと、この時期には背筋が伸びる思いになります。決して風化させてはいけないのです。
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