「3.11」はダメ夫と家族をどのように変えたのか 「津波ごっこ」をする、親を失った子どもたち

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東日本大震災から丸9年が経ちました(写真:enase/PIXTA)

「休みの日にはパチンコばかり行って子どもたちをどこかへ連れて行くこともせず、出かけるときは近所の大型スーパーのゲームコーナーくらい。家事育児は“女の仕事“と思っているみたいで家事もいっさいやらない。家ではただダラダラと子どもたちとゲームしたり漫画読んだりしてるだけで、見ていてすごくストレスだし考えるとムカついてくる……」

たびたび連絡がきてはこんな愚痴を話していたのは3人の子どもを抱える宮城県の友人です。

我慢の限界がくるたびに「家事育児もちゃんとやってよ! もう出ていく!」とキレてみるも、無口で物静かな夫は反論することもなく、気がつくと自分ばかり大声でキレているような感じがしてきて、バカらしくなって、怒鳴るのもやめてしまうの繰り返しだったといいます。

よく聞くような夫の愚痴、どこにでもある普通の家族、そして平凡で平和な日常に大きな転機が訪れます。

そう、それは東日本大震災でした。

「3.11」で激変した夫

筆者の故郷である宮城県をはじめ、東北の広い地域を襲った東日本大震災。想定外に大きく、とてつもない被害を出した大津波は、筆者の思い出の場所だけでなく、仲のよかった友人たち、そして当時の取引先の方々の命まで容赦なく奪っていきました。

思い出すたびに悔やまれるのが、3.11の2日前、筆者がたまたま帰省し、東京へ戻った3月9日にも震度5の大地震があったのです。このころ東北では大地震が頻発しており、住民たちはなんとなく地震に慣れてしまっていました。3.11前の度重なる大地震の際にはさほどの津波はなかったので、3.11はまさに油断していたところに大津波が来たということです。

昔から度重なる宮城県沖地震で、筆者が幼少期に住んでいた家の玄関や道路は所々が地割れしており、小学校、中学校時代の防災訓練は非常に厳しく指導されていました。小学校の頃には、チンタラと友達と話しながら校庭を歩いて避難練習していると、「お前ら死にてえのか! ふざけてないでやり直しだバカタレ!!」とマイクの音が割れるほどの大きな声で校長から怒鳴られ全校生徒全員やり直し。

「次に来る宮城県沖地震は阪神大震災より大きいのはわかってる。いつ来てもおかしくないのだから、防災については真剣にやれ!」というのは、通学途中の学生も日常で話題に出すほど、もはやみんなの口癖のようでした。

ですので、3.11のニュースを目の当たりにしたときには「本当に来てしまったんだ……」がいちばん初めに感じたことでした。

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