前回は、新型肺炎にからんで「ついに株式市場の『化けの皮』が剥がれ始めた」という話をした。今回は、新型肺炎を別の観点から見てみよう。つい最近まで株式市場が過小反応だったのに対して、一般の人々が過剰反応して、それをさらにSNSとメディアがとことん膨らませたわけだが、今回は「なぜ人々が過剰反応したのか」、という行動経済学の観点から考えてみる。
目に見えない「恐れ」が非合理な行動をもたらす
放射能汚染への恐怖感にも共通すると思うが、人間は「目に見えないリスク」に対しては、過剰反応するか、過小反応するか、いずれにせよ、非合理的に反応するものだ。
実は、合理的に考えれば、ダウンサイド(下落)もアップサイド(上昇)もどこまで行くか分からない、という恐れ(や夢)が非合理な行動をもたらす。例えば、10億円もの現金が当たる宝くじと、10億円でいつでも売れる豪邸だと、普通は前者に対して、より興奮する。無限に未来が広がる気がするからだ(恋愛もそうかもしれないが、これはまたいつか別の時に)。
放射能は、悪影響が目に見えず、検査しても現時点では分からず、積み重ねが後に健康被害をもたらすかもしれない、という不透明さが無限の恐怖をもたらすのだ。今すぐ死ぬということよりも、どんなことになるかわからない、もしかしたら遠い将来死ぬかもしれない、という方が場合によっては大きな恐怖をもたらす。「死」の無限の可能性は、「死」そのものよりも恐怖なのだ。
新型肺炎は、現状では致死率はインフルエンザよりもかなり低い。罹患者数も圧倒的に少ない。それにもかかわらず、インフルエンザに対してついこの前まで、少しの注意しか払わなかった。なのに、現在は恐怖で人々はマスクを買い求め殺到し、電車には乗らず、乗ってもつり革にはつかまらず、会社や学校に行くことも嫌がっている。その中には、つい最近まではトイレのあと手を洗わなかった人も多く含まれている(私の観察に寄れば、駅のトイレで手を洗わない人は半分前後だ)。
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