リベラルも保守も再評価すべき「国家」の意味 「新しい地政学」時代の自由民主主義の課題
中国が推進している一帯一路計画や、米中間の貿易摩擦など、経済のもつ戦略的意味がますます意識され、国際経済の「国家間の権力争いの場」としての色彩が濃くなってきている。
国家の枠を超えたグローバル化の果てに生じたこうした事態をいかに捉えるべきだろうか。このたび上梓された『新しい地政学』の執筆者でもある筆者が、再び捉え直すべき「国家」の役割と「自由民主主義」について論じる。
国家の枠を超えたグローバル化の果てに生じたこうした事態をいかに捉えるべきだろうか。このたび上梓された『新しい地政学』の執筆者でもある筆者が、再び捉え直すべき「国家」の役割と「自由民主主義」について論じる。
自信喪失状態にある「リベラル」
私が大学で教えている学生の中には、21世紀に生まれた世代が現れている。彼らにとっては冷戦やベルリンの壁の崩壊は、「戦争を知らない子供達」である私の世代にとっての日本軍国主義や敗戦と同じような感覚になるはずである。
携帯のない世界を知らないこの世代は、グローバル化が世界の潮流で、国家中心的な世界の見方は時代遅れだと言われて育ってきたはずだ。ちょうど私の世代が、民主主義や平和について、学校で教えられてきたように。
安全保障関連の国際会議でも、ここ数十年は国家間の軍事力による対立をどう処理するかという伝統的な戦争と平和の問題への関心は後景に退き、民族紛争やテロリズムが欧米の人々の主要な関心となった。
日本周辺では、朝鮮半島でも台湾海峡でも武力衝突の危険があると言っても、ドイツを見習ってしっかり周辺国に謝れば、東アジアでもヨーロッパのようなすばらしい地域共同体ができるはずだといった調子の説教を、ヨーロッパでされたことも何回かあった。
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