貴族のような生活なのに幸せでない現代人の闇

「前のめりな生き方は他者に利用される」

最近、本屋でもよく見かけるのが「教養」をテーマにした本です。私自身、「教養」という言葉をタイトルに使っている著作がいくつかあります。

だからこそ残念なのですが、どうも最近、「教養を身につけなければこれからの時代は生きていけない」というような強迫的ニュアンスで語られていることが多いように感じます。私はこの状況を、「脅迫としての教養」という言葉で表現しているのですが、ついに教養そのものも、現代の商業主義の中で、「脅し」の材料になり果ててしまったようです。

本来、教養は精神的なゆとりの中で育まれるものだと考えます。不安を解消するために身につけるものではありません。教養はそれを身につけようとして得るものではなく、結果として身につくものだと考えます。「脅迫としての教養」は教養そのものが目的ではなく、将来のポジションを得るため、より高い収入を得るため、といった別のところに目的がある。教養を1つの手段として見ているわけです。

そのような「脅迫としての教養」は、今やさまざまなところで垣間見えます。その1つが講座ビジネスです。これからは語学、英語が話せないとビジネスで生き残れないとか、編集力が大事だとか、そうかと言えば国語力が大事だとか……。

実際、私も著作でこれからのビジネスパーソンは数学と国語ができなければならないと書いていることもあり、大きく間違ってはいないのです。しかしそれを強調することで、不安に陥らせ、そこから結構なお金がかかる講座を受講させるのは問題です。

さらに問題なのは、料金設定です。一般の大学の公開講座だと、3~5回のもので数千円くらいが平均でしょう。それが例えば、数万円から10万円を超えるようなものであれば、しっかりと内容を考慮して果たしてそれだけの金額に見合うものかどうかを判断しなければなりません。

前のめりな生き方はメンタルを病む危険が

情報感度の高い人ほど、世の中の動きに乗り遅れると大変なことになると危惧し、知らないうちに流行やコマーシャリズムに乗せられてしまいます。

本当は他者の思惑に乗せられているのですが、そういう人に限って自分で選択した行動だと思い込んでいる節があります。そして何でも先取りしている自分に満足していたりします。主体性があるようでない。能動的に活動しているようで、実は受動的。

私はこれを「前のめりな生き方」と称しているのですが、情報社会の中で何かに突き動かされるようにして前に前にと進んでいく。常に前傾姿勢で進み、倒れる前に足が出る感じ。そのままどんどん加速して、脇目もふらずに突き進んでいくイメージです。

そういう人はどうなるか? スピードが加速度的に上がっていき、最後は次の足が出るのが間に合わず倒れてしまうか、あるいは何か障害物にぶつかってしまう。つまり挫折したり、メンタルを病み、自滅してしまう。そんな人が少なくないように思います。

次ページ「立ち止まることができる力こそ教養である」
キャリア・教育の人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 看取り士という仕事
  • コロナショックの大波紋
  • 非学歴エリートの熱血キャリア相談
  • 賃金・生涯給料ランキング
トレンドライブラリーAD
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
先陣切った米国の生産再開<br>透けるトヨタの“深謀遠慮”

米国でトヨタ自動車が約50日ぶりに5月11日から現地生産を再開しました。いち早く操業再開に踏み切った背景にあるのが、日本の国内工場と米トランプ政権への配慮。ドル箱の米国市場も国内生産も守りたい巨大グローバル企業の深謀遠慮が垣間見えます。