近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスへ 玉木俊明著 ~「近代」の扉を開いたのはオランダかイギリスか
16世紀前半、ヨーロッパ経済の中心はイタリアのヴェネツィアであった。だが後半になるとイタリア経済は衰え、17世紀には、世界経済の中心は「地中海」から「バルト海」に移る。人口増加による食糧不足と森林資源の枯渇という二大危機のせいであった。
バルト海地方の経済的中心ポーランドは、ヨーロッパ随一の穀倉地帯である。だが穀物の半分以上がオランダ船によって輸送された。「穀物の時代」のバルト海貿易を支配したのはオランダであり、その中心はアムステルダムであった。
アムステルダムはヨーロッパ最大の貿易都市であり、この都市を通して数多くの商業上の情報やノウハウが流れた。中世のハンザ同盟と違って、北ヨーロッパの商業世界は「開かれた空間」であり、オランダ語はバルト海地方の共通語となった。17世紀はオランダの黄金時代であった。
18世紀になると経済の中心はバルト海から大西洋に移り、イギリスが台頭する。だがオランダからイギリスへのヘゲモニーの移行には長い年月を要した。
18世紀初頭のイギリスはヨーロッパ経済の最先進国ではなかった。だから経済発展のパターンは後進国型である。すなわち国家の経済への強い介入である。中央集権の国家としてフランスとの戦争に勝ち抜き、重商主義帝国の形成に成功した。こうしてイギリスを中心とする近代世界システムが生まれ、世界経済は、地中海からバルト海をへて大西洋へと移動した。
本書の書名から、その思想や文化がどう発展(変化)し、「近代ヨーロッパ」がどうやって誕生したのかを期待する向きもあろう。だがここで論じられるのは、あくまで経済の面からである。それは、財政こそが「国家の腱」といわれるからである。
たまき・としあき
京都産業大学経済学部教授。専門は近代ヨーロッパ経済史。1964年生まれ。同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、京都産業大学経済学部専任講師、同助教授を経る。
講談社選書メチエ 1575円 218ページ
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