「さよならテレビ」 が暴いたTV局の深すぎる闇 悪いのはテレビ業界か、それとも視聴者か
彼の憂いの対比として、何度か挟まれた映像が実に興味深い。テレビ局には小学生が社会科見学に訪れる。報道部長が子どもたちに講義をするのだが、そのタイトルは「報道の使命」。内容は、
2. 困っている人(弱者)を助ける
3. 権力を監視する
とある。この文言を何度か映し出すあたりは、報道局全体に対する完全なる揶揄であり、皮肉でもある。澤村は、圡方ディレクターら撮影スタッフにもたびたび疑問を投げかける。テレビが抱える闇はもっと深いのではないか、と。
確かに、ワイドショーやニュースを観ていて、「ああ、この番組(局・人)は権力側の立ち位置ですね」とわかることもある。ド素人の私がわかるくらいならまだいい。権力に追従して、視聴者に伝えるべきことを伝えないほうがよっぽどたちが悪い。それでも上の判断で、番組は構成される。
反省と検証、そしてトラウマ
最後は、福島智之アナウンサー。そつなく進行をこなすものの印象が薄く、番組の顔としては弱い。副調整室では福島の「色のなさ」にため息とダメ出しの言葉が漏れる。メインキャスターとして新番組が始まるというのに、自分が前面に出ることに悩んでいた。弱気な発言で「向いていない」とつぶやく。というのも、福島にはトラウマがあったからだ。
2011年、生放送中に岩手県産のお米プレゼントの当選者を発表する際、「怪しいお米」「セシウムさん」などと、とんでもないテロップを流して大問題になった。「ぴーかんテレビの不適切テロップ事件」である。当時、キャスターを務めていたのが福島だった。ネットでたたかれ、番組は打ち切りに。福島は非難の的にされてしまった経緯がある。
喪失感や苦悩を抱える人を小バカにした文言は許しがたいし、大失態だ。ただ、匿名かつ執拗なネットの批判をメディアはどこまで受けとめるべきか、とふと考えてしまった。東海テレビはこの致命的な失敗を二度と繰り返さないために、「放送倫理を考える全社集会」を毎年行っているそうだ。
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