「さよならテレビ」 が暴いたTV局の深すぎる闇 悪いのはテレビ業界か、それとも視聴者か
その割に、覆面座談会企画で出席者の顔を映し出すというミスを犯しちゃったりして。このドキュメンタリーは反省に基づく自己検証を行いながら、報道局ができれば隠しておきたい恥部もしっかりさらけ出していた。
ラストシーンをどう捉えるかは人それぞれだが、3人の来し方行く末とテレビ局の悩みが実にうまく構成されていたと私は感心した。「ある種の予定調和」も感じられた。構成のうまさを感じた時点でドキュメンタリーとしての精度が失われる、と考える人もいる。
でも、予定不調和のリアリティーをぶんなげられて終わるよりも、作り手の意地悪さや問題提起を肌で感じつつ、多少の作為で「テレビ的に」まとめられたほうが断然見やすいし、実は面白いと思った。響く、とも思った。
「テレビ的」なものこそ数字を取るジレンマ
今、テレビは「いかにもテレビ的」と批判され、そこから脱却しようともがいているのだが、実は「いかにもテレビ的」なものが数字を取れるというジレンマもあるだろう。報道番組だが冷凍食品の特集で視聴率が上がり、局内が盛り上がるシーンもあった。皮肉と諦観を矜持に変えるためにも、このドキュメンタリーが多くの人の目に触れる必要があると思う。
渋谷ユーロスペースで観たが、テレビ業界人と思しき人々がちらほら。前半では笑いが起こり、「あるある~」的な反応だったが、最後のほうは固唾をのんで凝視していた(ような気がする)。私も同様である。
「さよならテレビ」というタイトルはテレビ局の人間だけに向けた言葉ではない。冷凍食品の特集はじっくり観て、共謀罪のニュースはさらっと聞き流す、そんな私たち視聴者に向けた皮肉かもしれないなと思った。
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