「の」でつなぐ異色絵本がオフィス街で売れる訳 「の」という単語が持つ無限のパワーとは

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逆にどうやって終わろうみたいなことを考えるぐらい、どんどんどんどん永遠にバトンタッチされていくみたいな感じ。しかもそのバトンタッチされた先が、物であっても空想であってもどんな突飛な世界であっても、いとも簡単に「の」がつないでしまう。

絵にしても物語にしても余白を残したい

──ポケットの中から始まり、時間も空間も、突拍子もない世界を飛び回った後、最後にポケットの中へすとんと戻る。そこに何か意味が込められているんですか。

それを僕が言うのはやぼかな。読者の方に委ねたいところがたくさんあるので。

じゅないだ/1978年生まれ。京都精華大学芸術学部卒業。2007〜11年芸能プロダクションAMUSEとアーティスト契約。10年に京都市内にHedgehog Books and Gallery立ち上げ。15年『HOME』でボローニャ国際絵本原画展入選。各種媒体のアートワーク制作も多岐に手がける。(撮影:梅谷秀司)

最近は何かしら正解が用意されてるものが多い気がします。僕自身は正解かどうかじゃなく、何だかわからないけど面白いんだよな、と感じるのがいちばん面白いんじゃないかと思っていて。僕はこう思う、私はこう感じたという、絵にしても物語にしてもそういう余白は残したい。正解のないものに対して楽しめる心、そういうものを表現したいんです。

何か意図した部分があるとすれば、最後の言葉を「わたし」にすることで、不思議な気持ちになってもらおうということですかね。途中、自分はどこにいるんだろうみたいな、とわからなくなる感覚。

──前作『Michi』も、不思議な空間を漂うような絵本でした。

通常の本でいう表紙側に女の子の背中、裏表紙側に男の子の背中があって、それぞれが向かい合うように、いくつもの不思議な街を歩いていく作りになっています。本のちょうど真ん中のページで、2人が同じ街の同じ道を両方向から歩いてくる。そこで2人が出会っておしまいと思ってくれてもいいし、そのまますれ違って時間軸が逆転して、女の子が歩いてきた道を今度は男の子がさかのぼっていくと思ってくれてもいい。

彼らの道のりに正解なんてない。見る人が入り組んだ路地から最短距離を割り出してくれてもいいし、迷子になってさまよってくれてもいい。それはもう僕が決めることじゃない。これがオチです、最後こうなりました、めでたしめでたしというのは、『Michi』にも『の』にもありません。そこで何を感じてもらうか、作品が常に問いかけでありたいと思っています。

──著者は場面を提供しているだけで、物語はないですよね。そして彼女はここへ来ました、こんなことをしました、こんなことを思いました、とか説明は何もない。それも読み手にお任せ、と。

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