エジプト版「明治維新」が失敗した本質的理由 戦い急いだエジプトと力を蓄えた日本の差

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これ以上の事態の進展は自国の外交・通商政策の障害となると判断したイギリスが介入に乗りだします。イギリスは列強に働きかけたうえでオスマン帝国にエジプトとの妥協を禁止し、エジプトにこれまで獲得した領土のうちスーダンを除くすべてをオスマン帝国に返還するように要求。

この強硬姿勢に、オスマン帝国も方針を転換しエジプト軍の撤退を要求する通告を突きつけます。ムハンマド・アリーはフランスの介入を期待しますが叶わず、イギリス・オーストリア・オスマン帝国連合軍の攻撃を受け、シリア各地で連戦連敗。エジプト軍は壊滅寸前に陥り1841年に降伏。ロンドン条約を結びました。

この条約で国軍は必要最小限にまで縮小させられ、主要産品の政府の独占・専売も廃止され、治外法権や低率の関税など、経済的にも不利な条項を認めさせられました。

ここにおいて、ムハンマド・アリーの「維新」は完全に崩壊となります。彼が生涯をかけて築き上げてきた新興大国エジプトは、その後イギリスの経済的な従属国となっていくのです。

ムハンマド・アリーはその後も、イギリスの軛(くびき)の下で何とかエジプトの財政や国際関係を再生させようと努力しますが、失意の中で1849年8月に80歳で亡くなりました。

エジプト近代化政策がもたらした光と闇

ムハンマド・アリーは一代でエジプトを強大国に成長させたどえらい男ですが、彼がエジプトにもたらしたのはよいことばかりではなく、近代化に伴うさまざまな歪みも社会にもたらしました。

ムハンマド・アリーは急速な国の近代化を進めるために、軍備拡張やインフラ整備や工場投資に莫大な費用を投じました。ギリシアで壊滅させられた海軍を再建するのにも相当な費用を使っています。しかし結局、領土拡張も失敗に終わり、経済開発のための多額の投資も、コストに見合うだけの充分なリターンを得られず、借金は天文学的に膨れ上がっていきました。

その財務赤字のしわ寄せは、支配層を介した農民への無茶な労働ノルマや重税として降りかかりました。農民の中には生活費にすら困窮し、土地を売って逃げたり、借金をして破産したりする者が相次ぐようになります。

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