エジプト版「明治維新」が失敗した本質的理由 戦い急いだエジプトと力を蓄えた日本の差

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農民を困窮させたのが、政府が強制した無償労働です。

エジプトでは伝統的に「アウナ」と呼ばれる、共同体のメンバーが集まり地域のために無償で働く慣習がありました。村々を囲む灌漑用水路を掘ったり、川の氾濫を防ぐ堤防を築いたり、その地域の農業に深く根ざしたものでしたが、ムハンマド・アリーはこの慣習を拡大解釈し「エジプトという故郷のために」農民たちを遠方に派遣し、さまざまな土木工事を課しました。この労働に対し報酬が支払われることはありませんでした。

農民は困窮し、一家で逃散する者が相次ぎ、無人耕作地帯が多数出現します。政府はそれら無人の地を王族やトルコ人支配層(ザワート層)に下賜しました。

農民の中には、ザワート層に取り入って特権を手に入れ、村落の有力者(アーヤーン層)となる者が出現しました。彼らは各村落を支配して農民を支配下において綿花栽培の経営層となり、エジプト農民を収奪する国際金融資本の手先となります。

イギリスによって借金漬けとなったエジプト

ロンドン条約によって海外資本の規制が撤廃され、さまざまな海外資本がエジプトに進出してきますが、大きな影響力を持ったのがギリシア人の金融業者でした。

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彼らは治外法権を盾にしてヨーロッパ式の商習慣を持ち込み、困窮するエジプト農民に高利で金を貸しました。勝手を知らない農民は土地を担保にして金を借り、返済できずに破産して土地を奪われてしまいます。金融業者は財政危機にあるエジプト政府が進めるインフラ整備に投資することで、有利な条件でインフラの使用を認められました。

エジプトが借金まみれになると彼らは特権的に港湾施設を利用する権利を得て、綿花の輸入業を独占的に行うようになります。

このような金融業者はグローバル金融資本の末端組織であり、中心部はイギリスの大銀行や証券会社。イギリスの金融業者は上は政府から下は農民までエジプトを借金漬けにしました。

エジプト政府の公的債務は1864年〜73年には6520万ポンドにまで膨れ上がり、とうとう1876年、借金が国庫の45%にも達し、エジプト政府はイギリス・フランス両国による財政管理下に入ることになりました。

こうしてエジプトの近代化改革の結果は日本とは異なり、欧米に比する列強の仲間入りを果たすどころか、半ば植民地状態に置かれることになってしまったのです。

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