自分の「スケジュールを隠す人」が大成しない訳 1300年前の「オープンな組織」に学ぶ
「過去の失敗に学ぶ」「善人を登用」「戯言に耳を貸さず」
貞観16年(西暦642年)に太宗が、諫議大夫【かんぎたいふ】(皇帝を諫める役職)の褚遂良【ちょすいりょう】に、「あなたは、君主の言動を記録する役割も兼ねている。私が行っていることの善悪も記録しているか」と尋ねると、褚遂良は、「史官の記録には、君主の挙動をすべて書き記してあります。善事だけでなく、過失も含め、包み隠さずに記録しています」と返事をしました。
褚遂良の返事を受け、太宗は、次のように言葉を重ねています。
亦【ま】た、史官が吾が悪を書せざらんことを望む。
一には則ち前代の敗事【はいじ】に鑑み、以て元亀【げんき】と為す。
二には則ち善人を進用し、共に政道を成す。
三には則ち群小を斥け棄て、讒言【ざんげん】を聴かず。
吾れ能く之を守り、終に転ぜざるなり、と」
(巻第六 杜讒佞第二十三 第八章)
太宗は、「史官(歴史の編纂や文書の記録をする役人)が私のことを悪く書かないことを望む」と自分の気持ちを正直に告白しています。
太宗には「兄の皇太子を殺し、父を幽閉して実権を掌握した」という暗い過去があるため、太宗は自分は簒奪者(君主の地位を奪い取った人)であり、マイナスからスタートしているということを自覚していました。
ただでさえ周囲から偏見を持たれているのに、これ以上悪口を書かれたら、取り返しがつきません。だから、悪く書かれたくはなかったのです。
そして太宗は、悪く書かれないようにするために、3つのことを実践していると褚遂良に述べています。
②善良な人や行いの正しい人とともに、道義的に正しい道を歩むこと
③取るに足らない人たちは退けて、噓、告つげ口、悪口は聞かないこと
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