自分の「スケジュールを隠す人」が大成しない訳 1300年前の「オープンな組織」に学ぶ
オープンな組織であっても、部下としては上司に意見をいいにくい場面があるかもしれません。
貞観の初年、太宗と臣下の王珪【おうけい】がくつろいでいるとき、太宗のそばに、美しい女性が侍っていました。その女性は、もともと廬江【ろこう】王・李瑗【りえん】に親しく仕えていた女性であり、李瑗が敗れて死んだあと、太宗が宮中に迎え入れたのです。
太宗は、王珪にいいます。
「廬江王は人の道に背き、暴虐を働いた。夫を殺し、その妻を奪ったのだ。滅びて当然だ」
すると王珪は、太宗に問いかけます。
「陛下は、廬江王が他人の妻を奪ったのを正しいとお考えですか? それとも間違っているとお考えですか?」
太宗は「人を殺してその妻を奪ったのだから、悪いことに決まっている。そんなわかりきった是非をどうして聞くのか?」と答えました。
王珪が是非を尋ねたのは、太宗が李瑗と同じことをしているように思えたからです。
悪いことは“ただちに”やめ、善いことは“ただちに”行動
李瑗は、女性の夫を殺し、その妻を自分のものとした。
太宗は李瑗を殺し、李瑗に仕えていた女性を自分のそばにおいた。
大局的に見れば、どちらの行為も「非」であると王珪は考えました。そして王珪は、次のように逸話を用いながら、太宗にそのことを気づかせたのです。
(巻第二 納諫第五 第一章)
「悪いことだとわかっているのなら、やめるべきである。善いことだとわかっているのなら、行動を起こすべきである」。王珪はそういって、太宗を諫めたのです。
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