イスラム教のムハンマドを経営者に例えてみた 意外と知らないイスラムの歴史を大胆解説
さらにウスマーンは、経営の効率化のため信用のおけるウマイヤ家の人間を重要なポストに就けるのですが、これが不満社員たちの怒りをかき立ててしまいました。とうとう一部の過激な不満社員の手にかかり、ウスマーンは暗殺されてしまうのです。
創業家とかつてのライバルとの争い
次の社長代理に就いたのは、創業者ムハンマドの義理の息子であるアリーです。アリーはムハンマドの叔父のアブー・ターリブの子で、ムハンマドとは親戚にあたる人物です。ムハンマドの信頼が厚く、愛娘ファーティマを嫁がせたのはアリーでした。
アリーとファーティマは、メディーナ社はムハンマドの一族が経営するファミリー企業であるべきだと考えていました。初代社長代理アブー・バクルが就任した際にも彼らはこれに反対し、ムハンマドの一族であるアリーが社長代理に就くべき、と訴えました。前社長代理ウスマーンの経営にも反対姿勢を示し、ムハンマド時代の平等主義に立ち返ることを主張していました。
これに反対したのが、ダマスクス支社長のムアーウィヤ。彼はメッカ社前社長アブー・スフヤーンの息子で、メッカ社破綻後に父と共にメディーナ社の社員となり、出世を重ねて支社長となっていました。
ムアーウィヤはアリー社長代理の「一族経営」を批判し、会社と社員の利益を守るために自分が社長代理に就くと宣言しました。
アリーとムアーウィヤの争いは5年間続きますが、過激派社員によってアリーが殺害されてしまうと、ムアーウィヤは本社機能をダマスクスに移し、社名をウマイヤ社としました。かつてのメッカ社の経営者一族が、メディーナ社を乗っ取ってしまった格好でした。
このウマイヤ社社長代理ムアーウィヤから始まる「会社の統合と利益の安全」を目指す一派は、後のスンニ派となります。一方で、アリーが主張した「一族経営と平等主義」を目指す一派は、後にシーア派と呼ばれるようになるのです。
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