イスラム教のムハンマドを経営者に例えてみた 意外と知らないイスラムの歴史を大胆解説
ムハンマドはアラビア半島の商業都市メッカに住むクライシュ族のハーシム家の一員でした。ムハンマドは40歳の頃、瞑想中に神の啓示を受け、預言者であることを自覚し、メッカで一神教の布教を開始しました。当時のメッカの人々は多神教の享楽主義的な世界観に生きていました。ムハンマドはこれを批判し、神の命令の下に平等に秩序正しく生きることを訴えたわけです。
それはまるで、中堅社員であるムハンマドが会社の改革を訴え、所属する会社のありようすべてを否定して、商材や社風、働き方を根本的に変えることを目的に、経営陣やマネジャー層に退陣を求め若手にすべての権限を移すよう要求したような感じです。
カリスマ社長ムハンマドの苦闘
若い社員の一部はこれに賛同しますが、経営陣やマネジャー層は自分たちの立場や待遇が失われることを恐れてムハンマドの訴えを弾圧します。
その結果、ムハンマドは閑職に追いやられ、仲間たちと組合を作って会社と闘い続けますが、経営陣はおろか大部分の社員たちも彼らの主張を認めてくれませんでした。
そこ622年、ムハンマドはメッカを抜け出してメディーナの町に移住します。これがいわゆるヒジュラ(聖遷)です。ムハンマドは辞表も出さずに会社を飛び出し、新たな会社に社長待遇で迎え入れられたのです。
社長に就任したムハンマドは自分が理想とする会社作りに燃えました。ムハンマドの改革に反対する社員たちは次々にクビにして会社から追放しました。
そうしてムハンマド社長率いるメディーナ社は、以前所属していたメッカ社との戦いに突入します。8年にも及ぶ一進一退の攻防が続きますが、メディーナ社の売り上げが上がる一方でメッカ社は業績を落としていきます。すると周辺の会社もメディーナ社と取引するようになっていきます。また、経営難のメッカ社からは次々と社員が転職してくるようになりました。
そしてとうとう、ムハンマド社長はメッカ社本社に乗り込み、歴代の社長の像や写真をすべて打ち壊してしまいました。そうして力ずくでメッカ社を経営統合してしまったのです。
業績好調のメディーナ社はさらに規模を拡大。M&AやTOBを次々に仕掛け、アラビア半島の中小の会社をすべて傘下に置き、巨大なコングロマリット企業に成長しました。
しかしそんな絶好調のメディーナ社を悲劇が襲います。ムハンマド社長が後継者を決めずに急逝してしまったのです。
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