記者も悩む「イエメン」あまりにも悲惨な現状 ジャーナリズムにできることは何なのか
イエメンの首都サヌアのレストランに行くと、じっくり時間をかけて調理されたラム肉が山盛りのライスとともに何皿も運ばれてきた。デザートは、チーズたっぷりでこんがり焼けた伝統的なアラブの菓子、クナーファだ。
その1時間後、仕事に戻って訪れた病院では、栄養失調で顔も骸骨のようにやせた子どもたちが、お金とおいしい食べ物を求めて生と死の間をさまよっていた。
食糧を手に入れられる人はごくわずか
こうした現実が隣り合わせであることに、衝撃や不快感すら覚えるかもしれないが、それは私も同じだ。
危機的な状況にある地で、著しい対比が見られることはよくある。しかし、イエメンではその格差がとりわけ厄介だ。問題は食糧が不足していることではない。食糧を手に入れる余裕がある人がごく限られていることだ。
長らく続く国境の封鎖、爆弾攻撃、急激なインフレーションで経済は壊滅状態にある。壊滅した国にはセーフティーネットが存在しない。
その結果、商品があふれたスーパーマーケットの外に物乞いの人々が集まる。飢えた人々が草を煮て食べている町の市場には、農産物が多く並んでいる。高級レストランから数百メートル離れたところには、飢えた人々が収容される、絶望と苦悩と死が蔓延した病院がある。
記者にとっては、それがジレンマとなる。ジャーナリストは宿泊や移動、通訳の確保のために通常アメリカドルの束を持ち歩く。その現金のごく一部が飢えた家族の役に立つことがあるかもしれない。私は立ち止まり、ノートを置いて、人々に手を差し伸べるべきなのだろうか?
イエメンの迫りくる飢饉について私たちが取り組んだ記事が最近ニューヨーク・タイムズに掲載されると、読者からこうした疑問が寄せられた。