余計なモノを持たない主義が宗教的に見える訳 ミニマリズムが提供する魅力的な価値のモデル

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まさに慢性的な“〝デジタル疲労”である。ならば、何が重要で何がそうでないかを「自分自身を見つめ直すこと」によって習得するフィルタリングメソッドこそが、やはり今後のデジタルライフ、もっと言えば人生の指針ならぬ信仰体系となってしまうかもしれない。

わたしたちは、日常の慣習から宗教が消え失せ、伝統的な規範意識も無意味になりつつある時代を生きている。

「ときめく」かどうかが重要になる

そこに1つの魅力的な価値のモデルを提供しているのが断捨離であり、ミニマリズムなのである。これは、いわば「神なき世界のものとのコミュニケーションを通じた自己対話(カウンセリング)」といえる。それゆえこんまりメソッドのように「ときめく」かどうかが重要になるのだ。「神なき世界」では、個人個人に宿るとされる「自由意志」という名の「心の声」こそが「小さな神」の役目を担うからである。

ヒトもモノも過剰に流動的になる中で、わたしたちは日夜「何が自分にとって大切なものか、取るに足りないものか」を選別する判断を迫られており、しかも肝心の「判断基準」は本音のところでは疑念が拭えない。常に、自分が時代の流れに対応し損なっていることにおびえる「取り残され不安」と、時代の流れに呑まれて自分自身を見失うことを恐れる「取り込まれ不安」に揺れている……。

そのようなどこにも逃げ場のない状況下で、骨の髄まで物質主義が染み込み、拠り所のなさを抱えているわたしたちにとって、多かれ少なかれ断捨離やミニマリズム的なフィルタリングメソッドは、「アイデンティティーの感覚」を呼び覚ますエクササイズとならざるをえないのである。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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